存在の耐えられない軽さ
↓の小説をうけて。
「存在の耐えられない軽さ」を紹介。
ナラタージュの泉さんはあまり面白く感じなかった
ようですが、私は好きです。
存在の耐えられない軽さ (1988 アメリカ)
監督 フィリップ・カウフマン
出 ダニエル・デイ・ルイス(トマシュ)
ジュリエット・ビノッシュ(テレーザ)
レナ・オリン(サビーナ)
1968年、チェコスロバキア。優秀な外科医トマシュは女遊びが絶えない。田舎娘のテレーザと結婚したものの、特別な恋人であるサビーナとの関係は続いている。そして別の女性とも。
「愛とセックスは別物。遊びだ・・・」という夫の人生を軽く見ているところが、どうしても理解できない妻。
時代は「プラハの春」と呼ばれる不安定な時。反共産自由化の波が起こり、ソ連軍の侵略で重苦しい転換期を迎えていた。
その中、3人、それぞれの愛は生き方までも変えていくことになる。
感想 チェコの作家、ミラン・クンデラのベストセラー小説をフィリップ・カウフマン(ライト・スタッフが有名)が監督しました。
この映画は、当時、とても観たかった一本なんですが、どうも大人の映画っていう気がしていて、手が出せないでいました。
今、この年齢で観てみてちょうど良かったかなっていう気がします。若いとそれだけで主人公に嫌悪感持ってしまったと思うので。
3人の愛の行方を描いている映画ですけれど、時代背景「プラハの春」も大きく物語りにかかわってきています。
それだけに、見応えのある1本になっています。映画自体も173分と長めです。
主人公のトマシュは、プレイボーイ。女を見ると、関係を持たないと気がすまない。これは妻に悪いとか、妻に厭きたとか、愛が
ないとかいう問題ではなくて、彼の中では、遊びでしかないんです。パチンコや競馬など趣味を持つ人と同じ感覚。どうってことはない。
軽い、軽い事柄なんです。でも、奥さんのテレーザにしてみれば、
理解できない。
説明されても、嫉妬心、独占欲が出てきて、どうしても
受け入れることができないんですよね。これはわかります。彼女が「私もあなたの女のところに連れて行って・・・。服を脱がせ、
ベットに誘い入れるから。傍で見ていたいわ・・・」って訴えるところでは、涙がでました。浮気ものの夫を持つっていうのはこういう
せつなさが伴うのかもしれません。このトマシュにみられる「存在の軽さ」は、男性なら多少なりとも理解できる事柄なんでしょうか。
渡辺淳一の世界に出てくる男性みたいですね。男の本質はこういうものかも知れないと思ってしまえば、いいんでしょうが、
大抵の女性はそう簡単に割りきれないと思いますね。それが男性と女性の違う所。
絶対愛を求めている女性がいる以上、彼女のために努力しなくてはいけないんじゃあないでしょうか。そういう女を妻に
してしまったんですからね。
彼にもっとも近い女性は、奔放な性を持ったサビーナであったと思います。束縛することも、されることも嫌いで、彼と同じような感覚で
男性に接することができる。でもトマシュは、サビーナの軽さに同士のようなものを感じていたにもかかわらず、結婚相手には選ば
ないんです。これが男の不思議なところで、傍に置いておきたい女性は貞淑な女性ということなんでしょうかね。
やがてソ連の侵入でプラハから脱出して、スイスに逃れた3人。
さらにサビーナはそのまま、自由の国アメリカへと旅立って行きますが、トマシュはこの時の彼女の誘いも断って
テレーザの傍を離れようとしません。テレーザは夫の浮気に疲れて、
プラハに再び戻ってしまうのですが、トマシュは
彼女の後を追っていきます。この時点で、彼、トマシュは、彼女の重い人生に巻き込まれているんですね。生き方の難しい国を選択
したことで、彼の人生も大きく変わっていきます。遊びの面を除けば、彼は彼なりに、テレーザを愛していたんじゃあないかな。
「軽い・軽い」といわれても、結局は彼女の人生に入り込んでくるのだから。男女間の重いも軽いもこの現実に対してみれば
大したことないのかも。現実の方がかなり重く二人を押しつぶしているのですからね。
印象的なシーンは多いんですよ。テーマがテーマなだけに、性愛描写も多多あるんですけど、そんなに嫌らしくないかな。
むしろ、女二人が交互にヌード写真を撮るシーンなどに、ぞくぞくしたものを感じました。サビーナの裸体を撮りながら、テレーザは
涙を流すんですよ。なんだかわかるな~。お互い、一人の男性を共有しているっていう思いが心に走っているわけ。
心境は複雑ですよね。
レナ・オリン(サビーナ)が自宅の鏡の前で下着になるシーン。下着は黒。帽子をかぶった彼女はセクシーでね、
とっても魅力的なんですよ。
裸になっても、とってもきれいで、不愉快さを全然感じさせないんですよ。
ビノッシュ(テレーザ)は、この頃は本当に初初しくって、可愛いらしいんですよ。最近の作品での貫禄ある存在しかみていないので
新鮮。
そしてダニエル。医者って立場から、「服を脱いで・・・・」ってさらりと言えるところが、憎いくらいにかっこいいです。
手足が長くて、スマートな行動・・・。女の裸を見るときの見つきが、すごいんですよね。輝いている。ジ~トみていて、何も
言わないんだけど、強烈な何かを感じさせるんですよ。いや~嫌らしいけど、素敵っていう矛盾が沸いてきます。
ラストはとってもせつなく心に響いてきます。
「今、何を考えているの・・・」テレーザ。
「とっても幸せだ・・」トマシュ。やはり愛があったんですよね。ウ~ン、号泣き・・・・・。
「存在の耐えられない軽さ」を紹介。
ナラタージュの泉さんはあまり面白く感じなかった
ようですが、私は好きです。
存在の耐えられない軽さ (1988 アメリカ)
監督 フィリップ・カウフマン
出 ダニエル・デイ・ルイス(トマシュ)
ジュリエット・ビノッシュ(テレーザ)
レナ・オリン(サビーナ)
1968年、チェコスロバキア。優秀な外科医トマシュは女遊びが絶えない。田舎娘のテレーザと結婚したものの、特別な恋人であるサビーナとの関係は続いている。そして別の女性とも。
「愛とセックスは別物。遊びだ・・・」という夫の人生を軽く見ているところが、どうしても理解できない妻。
時代は「プラハの春」と呼ばれる不安定な時。反共産自由化の波が起こり、ソ連軍の侵略で重苦しい転換期を迎えていた。
その中、3人、それぞれの愛は生き方までも変えていくことになる。
感想 チェコの作家、ミラン・クンデラのベストセラー小説をフィリップ・カウフマン(ライト・スタッフが有名)が監督しました。
この映画は、当時、とても観たかった一本なんですが、どうも大人の映画っていう気がしていて、手が出せないでいました。
今、この年齢で観てみてちょうど良かったかなっていう気がします。若いとそれだけで主人公に嫌悪感持ってしまったと思うので。
3人の愛の行方を描いている映画ですけれど、時代背景「プラハの春」も大きく物語りにかかわってきています。
それだけに、見応えのある1本になっています。映画自体も173分と長めです。
主人公のトマシュは、プレイボーイ。女を見ると、関係を持たないと気がすまない。これは妻に悪いとか、妻に厭きたとか、愛が
ないとかいう問題ではなくて、彼の中では、遊びでしかないんです。パチンコや競馬など趣味を持つ人と同じ感覚。どうってことはない。
軽い、軽い事柄なんです。でも、奥さんのテレーザにしてみれば、
理解できない。
説明されても、嫉妬心、独占欲が出てきて、どうしても
受け入れることができないんですよね。これはわかります。彼女が「私もあなたの女のところに連れて行って・・・。服を脱がせ、
ベットに誘い入れるから。傍で見ていたいわ・・・」って訴えるところでは、涙がでました。浮気ものの夫を持つっていうのはこういう
せつなさが伴うのかもしれません。このトマシュにみられる「存在の軽さ」は、男性なら多少なりとも理解できる事柄なんでしょうか。
渡辺淳一の世界に出てくる男性みたいですね。男の本質はこういうものかも知れないと思ってしまえば、いいんでしょうが、
大抵の女性はそう簡単に割りきれないと思いますね。それが男性と女性の違う所。
絶対愛を求めている女性がいる以上、彼女のために努力しなくてはいけないんじゃあないでしょうか。そういう女を妻に
してしまったんですからね。
彼にもっとも近い女性は、奔放な性を持ったサビーナであったと思います。束縛することも、されることも嫌いで、彼と同じような感覚で
男性に接することができる。でもトマシュは、サビーナの軽さに同士のようなものを感じていたにもかかわらず、結婚相手には選ば
ないんです。これが男の不思議なところで、傍に置いておきたい女性は貞淑な女性ということなんでしょうかね。
やがてソ連の侵入でプラハから脱出して、スイスに逃れた3人。
さらにサビーナはそのまま、自由の国アメリカへと旅立って行きますが、トマシュはこの時の彼女の誘いも断って
テレーザの傍を離れようとしません。テレーザは夫の浮気に疲れて、
プラハに再び戻ってしまうのですが、トマシュは
彼女の後を追っていきます。この時点で、彼、トマシュは、彼女の重い人生に巻き込まれているんですね。生き方の難しい国を選択
したことで、彼の人生も大きく変わっていきます。遊びの面を除けば、彼は彼なりに、テレーザを愛していたんじゃあないかな。
「軽い・軽い」といわれても、結局は彼女の人生に入り込んでくるのだから。男女間の重いも軽いもこの現実に対してみれば
大したことないのかも。現実の方がかなり重く二人を押しつぶしているのですからね。
印象的なシーンは多いんですよ。テーマがテーマなだけに、性愛描写も多多あるんですけど、そんなに嫌らしくないかな。
むしろ、女二人が交互にヌード写真を撮るシーンなどに、ぞくぞくしたものを感じました。サビーナの裸体を撮りながら、テレーザは
涙を流すんですよ。なんだかわかるな~。お互い、一人の男性を共有しているっていう思いが心に走っているわけ。
心境は複雑ですよね。
レナ・オリン(サビーナ)が自宅の鏡の前で下着になるシーン。下着は黒。帽子をかぶった彼女はセクシーでね、
とっても魅力的なんですよ。
裸になっても、とってもきれいで、不愉快さを全然感じさせないんですよ。
ビノッシュ(テレーザ)は、この頃は本当に初初しくって、可愛いらしいんですよ。最近の作品での貫禄ある存在しかみていないので
新鮮。
そしてダニエル。医者って立場から、「服を脱いで・・・・」ってさらりと言えるところが、憎いくらいにかっこいいです。
手足が長くて、スマートな行動・・・。女の裸を見るときの見つきが、すごいんですよね。輝いている。ジ~トみていて、何も
言わないんだけど、強烈な何かを感じさせるんですよ。いや~嫌らしいけど、素敵っていう矛盾が沸いてきます。
ラストはとってもせつなく心に響いてきます。
「今、何を考えているの・・・」テレーザ。
「とっても幸せだ・・」トマシュ。やはり愛があったんですよね。ウ~ン、号泣き・・・・・。

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