あなたの呼吸が止まるまで 著 島本理生
あなたの呼吸が止まるまで 著 島本理生
島本さん2作目。
ナラタージュと同じような展開か・・・と思わせて
実は・・・・ほ~~~~そうきたか。。。でした。
読後感には爽やかさはなく、
ただ、寂しさとせつなさとつらい思いが・・・残った作品。
個人的には
こういった素材は、あまり好きではないかも。
主人公は十二歳の小学6年生。
作文調の文体で・・・こみがげてきました・・、ぶつかりました・・・届きました・・と
すべて、です、ます・・系で書かれています。
そこからは、彼女の、主人公の几帳面な
性格さを伺うことができます。
また
丁寧に自分の気持を述べていくという
かたちでもあるので、この主人公、十二歳の少女に
読み手の気持ちが寄り添っていくことができます。
これはもしかしたら
自分の母親的な気持ちが入り込んでしまっていたからかもしれません。
彼女の悲しみ、寂しさを
どうにかして、救ってあげることはできないかという
気持ちです。
大人っぽい態度をとっていても、
所詮子どもなんだから。
だれかが温かく包んであげないと。
主人公の野々宮朔の父親は
舞踏家。けっしてお金にはならない仕事を
自分の信念のもと続けている。
それが自分の生き方だと思っている。
しかし、家庭生活はそう簡単なものにはいかなく、
夢を追いもとめることだけでは暮らしていけない。
妻は、家を出て行ってしまう。
いまや父と娘のふたりだけの家庭。
父親は、ふだんから帰りが遅くなりがち。
舞踏仲間と付き合いがあるからだ。
彼女は
必然的に、普通の子どもより大人びた感じになってしまう。
大人の世界とかかわることが多くなっているからだ。
父親の影響で物事の考え方も、その年齢の子どもと違ってきている。
でもやっぱり・・・子どもであるに違いないのだ。
そんな彼女の生活を
彼女の言葉で
語っていく小説。
自分の意志を明確にしめす個性的な鹿山さん。
優等生で彼女が好意をもっている田島くん。
彼らとかかわる学校生活も
同時進行で描かれていくのです。
そして、予期せぬ出来事が朔に
起こってしまうのです。
ある種、暴力という名の行為。
彼女の復讐は、
彼女が精一杯できる
行動の表れではあるけれど、
逆に彼女の心の傷を大きくしないかと
不安もよぎってしまう・・・。
その勇気はまぎれもなく大きなものだけれど
勇気ある行為はまた幼いゆえの正義感から来るものであるに違いないのだから。
だからといってどうしていいのかはわからないし、
そのままでいいわけではないけれど。
私が一番イヤなのは
佐倉さんの行為そのものというよりも(まあ、それも不快だが)
恋愛感情が未熟な相手に対して、
まだなにもわからない少女に対して、
うまく丸め込むようなものの言い方・・・が非常にイヤでした。
自分の都合のいい風に
導いていく、大人のいやらしさ、汚れた考え=欲望が、
子どもの純粋な文章(実際には作者の文体なのだけれど)
で表現した時、
それは、何倍にもいやらしく感じます。
ところで、この作品で
象徴的に出てくるのが映画の「シベールの日曜日」
残念ながら未見ですが
内容は知っております。
ナラタージュでもそうでしたが
映画の引用が多いですよね。
ラストの描写が個人的には
好きです。大地に爪を立てる描写・・・。
少女の思いがこめられた文章でしたから・・・

島本さん2作目。
ナラタージュと同じような展開か・・・と思わせて
実は・・・・ほ~~~~そうきたか。。。でした。
読後感には爽やかさはなく、
ただ、寂しさとせつなさとつらい思いが・・・残った作品。
個人的には
こういった素材は、あまり好きではないかも。
主人公は十二歳の小学6年生。
作文調の文体で・・・こみがげてきました・・、ぶつかりました・・・届きました・・と
すべて、です、ます・・系で書かれています。
そこからは、彼女の、主人公の几帳面な
性格さを伺うことができます。
また
丁寧に自分の気持を述べていくという
かたちでもあるので、この主人公、十二歳の少女に
読み手の気持ちが寄り添っていくことができます。
これはもしかしたら
自分の母親的な気持ちが入り込んでしまっていたからかもしれません。
彼女の悲しみ、寂しさを
どうにかして、救ってあげることはできないかという
気持ちです。
大人っぽい態度をとっていても、
所詮子どもなんだから。
だれかが温かく包んであげないと。
主人公の野々宮朔の父親は
舞踏家。けっしてお金にはならない仕事を
自分の信念のもと続けている。
それが自分の生き方だと思っている。
しかし、家庭生活はそう簡単なものにはいかなく、
夢を追いもとめることだけでは暮らしていけない。
妻は、家を出て行ってしまう。
いまや父と娘のふたりだけの家庭。
父親は、ふだんから帰りが遅くなりがち。
舞踏仲間と付き合いがあるからだ。
彼女は
必然的に、普通の子どもより大人びた感じになってしまう。
大人の世界とかかわることが多くなっているからだ。
父親の影響で物事の考え方も、その年齢の子どもと違ってきている。
でもやっぱり・・・子どもであるに違いないのだ。
そんな彼女の生活を
彼女の言葉で
語っていく小説。
自分の意志を明確にしめす個性的な鹿山さん。
優等生で彼女が好意をもっている田島くん。
彼らとかかわる学校生活も
同時進行で描かれていくのです。
そして、予期せぬ出来事が朔に
起こってしまうのです。
ある種、暴力という名の行為。
彼女の復讐は、
彼女が精一杯できる
行動の表れではあるけれど、
逆に彼女の心の傷を大きくしないかと
不安もよぎってしまう・・・。
その勇気はまぎれもなく大きなものだけれど
勇気ある行為はまた幼いゆえの正義感から来るものであるに違いないのだから。
だからといってどうしていいのかはわからないし、
そのままでいいわけではないけれど。
私が一番イヤなのは
佐倉さんの行為そのものというよりも(まあ、それも不快だが)
恋愛感情が未熟な相手に対して、
まだなにもわからない少女に対して、
うまく丸め込むようなものの言い方・・・が非常にイヤでした。
自分の都合のいい風に
導いていく、大人のいやらしさ、汚れた考え=欲望が、
子どもの純粋な文章(実際には作者の文体なのだけれど)
で表現した時、
それは、何倍にもいやらしく感じます。
ところで、この作品で
象徴的に出てくるのが映画の「シベールの日曜日」
残念ながら未見ですが
内容は知っております。
ナラタージュでもそうでしたが
映画の引用が多いですよね。
ラストの描写が個人的には
好きです。大地に爪を立てる描写・・・。
少女の思いがこめられた文章でしたから・・・

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