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あの日、欲望の大地で

あの日、欲望の大地で (2008  アメリカ)

THE BURNING PLAIN


監督: ギジェルモ・アリアガ
製作: ウォルター・パークス
ローリー・マクドナルド
製作総指揮: シャーリーズ・セロン
アリサ・テイガー
レイ・アンジェリク
トッド・ワグナー
マーク・キューバン
マーク・バタン
脚本: ギジェルモ・アリアガ
撮影: ロバート・エルスウィット
プロダクションデ
ザイン: ダン・リー
衣装デザイン: シンディ・エヴァンス
編集: クレイグ・ウッド
音楽: ハンス・ジマー
オマール・ロドリゲス=ロペス
出演: シャーリーズ・セロン シルヴィア
キム・ベイシンガー ジーナ
ジェニファー・ローレンス マリアーナ
ホセ・マリア・ヤスピク カルロス
ヨアキム・デ・アルメイダ ニック
ジョン・コーベット ジョン
ダニー・ピノ サンティアゴ
J・D・パルド サンティアゴ(少年時代)
ブレット・カレン ロバート
テッサ・イア マリア



 アメリカ北東部、メイン州の海辺の街ポートランド。
レストランの女マネージャー、シルヴィアは、
行きずりの情事を繰り返す毎日。
ある日、彼女のもとにメキシコ人男性と、12歳の少女がやってくる。
少女はシルヴィアの娘だとその男はいうのだが。




感想


「21グラム」「バベル」の脚本家ギジェルモ・アリアガの
監督デビュー作。
今頃ですが鑑賞。

なぜ今か・・・というと
ジェニファー・ローレンス ちゃんをチェックしたかったから。
やっぱり、凄いな~~~この頃から。
シャーリーズ・セロンや キム・ベイシンガーと
大女優がいるなかで
その存在感は全然負けていなかったものね~~~。
なによりも
この若かりし頃があったからこそ、
セロンの、人生投げ出してしまっているような現代の姿が納得できるわけなんだから
相当、重要な位置づけではあるよね。

キム・ベイシンガーは
ローレンスちゃん(大人になったらセロン)の母親役。
この母は
不倫をしているわけなのよね・・・。
不倫をしている母親と言う設定だけきくと
子供も夫もいるのに、なんていう人なの!!っていう評価になりがちなんだけど、
この映画の中でのキムをみていると
ほんのちょっと同情もしたくなってくるところもあるのが不思議。
許されない行為なんだけれど
女としての人生っていう点で考えると、思うままに生きてみたいという気持ちも理解できなくも
ないんだよね。
どうやら病気を患っていて、胸かな・・・傷があるんだよね。
夫とはそこら辺が原因で、夫婦仲?というより、あちらの方がうまくいっていない模様。
キムとしては、女として愛してほしいもう一度という思いから
別の男に行ってしまったということだと思うけれど、
それを欲望という言葉だけで片付けてしまうのも、可哀そうな気もするよね。
まあ・・・辛い思いをする夫や子供たちがいるのは確かなんだからやはりいけないとは思うけどね。


映画は
時制をいじってあるので、自然と好奇心が湧いてくるうまいつくり。
同時に
推理的な要素をもたせ(なぜ、不倫カップルは死んだか)
最後まであきされないのよね。
本当うまいよね~~


女性3人の、それぞれの立場、心情が
痛いほどこちらに伝わってくるので
同じ女性としていろいろ考え込んでしまったわ。


ローレンスちゃんが
ほんの出来心で起こしたあの事故。
まさか、こんな大事になろうとは思っていなかっただろうね・・・
それをさ・・・・ず~~と抱えていきてきたかと思うと
ものすごくせつなくなってしまったよ。
あの冒頭で
裸で窓辺に立つ
セロンの姿を思いだし、
より一層、過去っていつまでも付いて回るものなんだな・・・・と痛い気持ちになったよ。


セロンの子供。
利発的だったよね。
母親の不倫相手の男の子供と
恋に落ちてしまったセロン。
う~~~ん、人生ってなんとも皮肉。



これからの人生は
きっと違ったものになるかもしれないという
かすかな希望を感じるラストが
ちょっと救いになったかな。


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おおかみこどもの雨と雪

おおかみこどもの雨と雪   (2012  日本)


監督: 細田守
製作: 藤本鈴子
齋藤佑佳
岡田浩行
井上伸一郎
平井文宏
阿佐美弘恭
弘中謙
市川南
高田佳夫
植木英則
プロデューサー: 齋藤優一郎
伊藤卓哉
渡邊隆史
エグゼクティブプ
ロデューサー: 奥田誠治
COエグゼクティ
ブプロデューサー: 高橋望
製作指揮: 城朋子
アソシエイトプロ
デューサー: 川村元気
原作: 細田守
脚本: 細田守
奥寺佐渡子
キャラクターデザ
イン: 貞本義行
作画監督: 山下高明
CGディレクター: 堀部亮
美術監督: 大野広司
美術設定: 上條安里
色彩設計: 三笠修
衣装: 伊賀大介
編集: 西山茂
音楽: 高木正勝
音楽プロデューサ
ー: 北原京子
音響効果: 今野康之
キャスティングデ
ィレクター: 増田悟司
録音: 小原吉男
劇中画: 森本千絵
声の出演: 宮崎あおい 花
大沢たかお 彼
黒木華 雪(少女期)
西井幸人 雨(少年期)
大野百花 雪(幼年期)
加部亜門 雨(幼年期)
林原めぐみ 草平の母
中村正 細川
大木民夫 山岡
片岡富枝 韮崎のおばさん
平岡拓真 草平
染谷将太 田辺先生
谷村美月 土肥の奥さん
麻生久美子 堀田の奥さん
菅原文太 韮崎


 大学生の花は“おおかみおとこ”と恋に落ちる。
やがて、結ばれた2人。
彼らの間には
おおかみと人間の2つの顔を持つ“おおかみこども”が生まれる。
姉の“雪”と弟の“雨”。
しかし
父親の“おおかみおとこ”に突然の死が訪れるのだ。





感想

「時をかける少女」は鑑賞済み。「サマーウォーズ」は未見です。
今回のこのアニメは
子供(中学)と一緒に鑑賞。
賛否あるようですが、私は好き。
母親目線でず~~と観ていたからかな。
細かい矛盾点も気にならなかったです。
ちなみに、子供はそれほどでも・・・という感想のよう。
とくに前半は
セリフも少なく、登場人物たちの動きのみで
心情をおしはかり、内容理解するストーリーなので、幼い子(うちは大きいが…笑)には退屈に感じるかも。
花とオオカミとの
妊娠過程もさりげないけど、きちんと描いています。

雪と雨の
子供の頃が可愛い・・・。
いたずらしたり
わがまま言い出すと
オオカミに変身するところが、笑えます。
現実、子供がわ~~わ~~、ぎゃ~~ぎゃ~~するのって
動物見たいだものね…笑


雪ちゃんは天真爛漫でおてんばなのよね。
反対に
雨君は繊細で大人しいの。
雪ちゃんが
近所の人にいたづらするのは面白かったわ

ママの前では人間の子供の姿で
外に出るとオオカミに変身するのよね。


後半、
村に子供を連れて生活するあたりから
子供の成長はどんどん速くなっていきます。


子供の頃オオカミって嫌だな・・・と泣きながらいう雨と
オオカミであること、強いことを誇らしげに語っていた雪。

小学校にあがるころになると
人間の女の子であると意識しだす雪と
森の動物たちへの思いが強くなる雨。


小さい時とは
また違った感じに成長していく様には
学ぶこと多かったわ。
女の子はより女らしく
男の子はより男の子らしくと
典型的なパターンになっていくのは
どうかな・・・と思いましたけど、
親である
花が
子供の進むべき道を彼らに委ねているという
のは、すごいことだな・・・と思いました。
こうしなくてはああしなくてはという・・・親の思いを
強く出さないところ、見習いたいです。

花にとって
雨との別れはかなりつらいものだと思うけど
えらいな・・・

子離れも時期がくれば必要なんだから
しょうがないよね。
でも10歳だっけ?早いよね。
オオカミは一人立ちが早いのか。



花ちゃんの宮崎あおいちゃん・・・
絵もそのまんまにみえるけど
合っていました。
年取らないのがすごい・・・



個人的には
パパ、オオカミの最後が印象的。
清掃車にのせられるって悲惨だよね。
男の人ってなんだか可哀そう・・・
女性のたくましさは感じられたけど
男性のあの最後には
あわれさを感じずにはいられないわ。


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ぼくたちのムッシュ・ラザール   

ぼくたちのムッシュ・ラザール   (2011  カナダ)

MONSIEUR LAZHAR



監督: フィリップ・ファラルドー
製作: リュック・デリー
キム・マクロー
原作戯曲: エヴリン・ドゥ・ラ・シェネリエール
脚本: フィリップ・ファラルドー
撮影: ロナルド・プラント
編集: ステファヌ・ラフルール
音楽: マルタン・レオン
出演: フェラグ バシール・ラザール
ソフィー・ネリッセ アリス
エミリアン・ネロン シモン
ブリジット・プパール クレール
ダニエル・プルール ヴィアンクール校長
ルイ・シャンパーニュ
ジュール・フィリップ



第84回アカデミー賞で外国語映画賞ノミネート作品。
カナダ、モントリオールの小学校。
ある朝、教室で担任の女性教師が首を吊って死んでいた。
偶然その姿をみてしまった
シモンとアリス。
学校側は後任の教員として
募集広告を見てやってきたというアルジェリア系移民の男性、バシール・ラザールを採用。
彼の授業はやや時代遅れで
戸惑いをみせる生徒たちもいたが真摯に接するラザール先生に
いつしか、馴染むようになっていった。
子供たちはそれぞれ死について心を悩ませていたが学校は上辺だけの対処の仕方。
ラザールはそんな子どもたちをなんとか救ってあげたいと思っていたが
とうの彼も心に深い闇をもっていた・・・



感想

2012年のアカデミー賞の外国語映画賞ノミネート作品って
☆別離 アスガル・ファルハーディー イラン
☆闇を生きる男 ミヒャエル・ロスカム ベルギー
☆He'arat Shulayim ヨセフ・シダー イスラエル
☆ソハの地下水道 アニエスカ・ホランド ポーランド
☆ぼくたちのムッシュ・ラザール
だそうで・・・・。(この中で別離が賞をとりました。)
他をまだチェックしていないのだけど、
↑もさすがノミネートされただけあります!!
この作品、良かったですよ。
地味映画としても推薦したいわ~~。
ほとんど教育現場が舞台で
起こりゆる問題もいまの日本とかぶる部分があり、タイムリーな時期に見たこともあって
余計心にずしんときました。
教育いうものは、どういうものか、ちょっと考えてしまいますね。
教育者の人にも観てもらいたい・・・。
キャッチコピーの➪いちばん大事なことは、教科書には載ってない
これ、星の王子様のセリフみたいで
印象的ですね。

映画自体は
とても地味です。
教師の自殺というセンセーショナルな話題から始まりますが、
そのあとは、その事件を受けての周りの人々の反応を淡々と描くのみ。
大人たちはどうにかして、この問題を早めに何事もなかったように片付けたいと願う・・・
一方の子どもたちは、そんな大人たちの反応を敏感に感じ
あえて、その問題を口にしようとはせず、かえって
苦しみを苦しみのまま、抱えてしまっている様子。
そんな子供たちの心を少しでも楽にしてあげたいと
思うのが、このラザール先生。
なぜなら
大好きな人を失ってしまうという辛い経験を
彼もまた背負っていたから・・・。

だからといって
ハリウッドによくあるような
心に傷を負った子供たちを
主人公である代用教員が、なんとかしてくれて、めでたしめでたし~~~ということになったりしません。
すぐさま、結論が導かれるわけではないんですね。



結局のところ
何一つ、問題がはっきり解決したということにはなっていないのです。
でも少しでもこの先生の影響力があったと信じたい・・・
彼と接した子供たちは
自分たちの力で前に進んで行けるかもしれないという
希望がみえる、
そういうお話の流れになっていたんじゃないのかなと思いました。


こちらが受け止めなければならない問題はとても大きく
観終わったあとの余韻の深さは半端なかったです。
ユーモラスな部分もあるので
堅苦しくはないんだけど、
後半にむかっていくにつれて、
次々と新たな事実がわかり、ラストでガツンときてしまったという感じです。

そしてラストシーンが素晴らしい・・・・。
思わず、泣いてしまいました・・・・。

やっぱり映画はラストシーン、大切ですよね。


なぜ担任の先生は自殺したのか。
この理由はわかりません。
シモンは、自分がその原因であると思いこみ、
相当苦しんでいたようです。
担任の先生はシモンのことをどう思っていたのか。
シモンの話から私たちは、少しばかり想像力を働かせなければいけません。
シモンを贔屓していたからか、
抱擁したことでシモンになじられ、学校側から様々な憶測をぶつけられて落ち込んでいたのか。
はたまた、学校内の問題だけでなく家庭内で問題を抱えていたのか。
(夫は妻の遺品をとりに来ないということから、この担任先生と夫との関係はどんなものなのか謎)
理由は観る人が想像力を働かせるしかないのです。
そもそも理由など、考えてもわからないものかもしれませんね。
死そのものが、暴力であるという
少女の意見もありましたが、なるほどな・・と思います。


一方
ラザール先生もまた、誰にも言えない秘密を抱え、悲しみを乗り越えられずにいるのです。
ラザール先生は
母国アルジェリアで家族を亡くしていました。
(実は先生という職業は妻であり、彼自身はお店の経営者。教師19年の肩書はなしでした・・)
彼は愛している人を亡くしたという経験があるから
子供たちの心に寄り添いたいと願ったのかもしれません。


そんな先生ですが、
隠していた事実が学校に明らかになり
とうとう・・・・悲しい結末が。

観る人はどういう展開になるのか想像ができます。
子供たちにその事実をさりげなく説明する先生。
ある話をします。
オリーブとさなぎというラザール先生が話してくれる寓話。
その意味は観ている人もどういうものか感じとれます。
そして
生徒の一人
聡明なアリスも同じように感じとるのです。

ここからが・・・・グッとくるの。


抱擁は禁止だと言われた学校。
肉体的な接触を一切避ける事。
暴力とみなされるような行為はすべて禁止。
教師としてはやりにくい状態でしょう。
どこまでが問題視される行為かという線引きがね、難しいと思うの。
生徒と教師の関係は
なかなか難しい状態になっているのでしょう。
これは日本でもそうだよね。
どこまで立ち入っていいのか・・。



カナダ映画ですが、台詞は
全部フランス語。
ケベック州の公用語はフランス語だそうですね。
ちなみに
制作者の
リュック・デリーとキム・マックルーは『灼熱の魂』に続けて、二年連続でアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされているんだそうで。
そうなんだ!!・・・とこの事実にも驚き。

苦しい時は
吐きだすこと。
先生も生徒も同じ。
まずは人間として大事なことを忘れないでほしいな・




子供が可愛すぎ↓
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マーサ、あるいはマーシー・メイ

マーサ、あるいはマーシー・メイ (2011  アメリカ)

MARTHA MARCY MAY MARLENE


監督: ショーン・ダーキン
製作: ジョシュ・モンド
アントニオ・カンポス
クリス・メイバック
パトリック・カニンガム
脚本: ショーン・ダーキン
撮影: ジョディ・リー・ライプス
プロダクションデ
ザイン: チャド・キース
編集: ザック・スチュアート=ポンティエ
音楽: ソーンダー・ジュリアーンズ
ダニー・ベンジー
出演: エリザベス・オルセン マーサ
サラ・ポールソン ルーシー
ジョン・ホークス パトリック
ヒュー・ダンシー テッド
ブラディ・コーベット ワッツ
ルイーザ・クラウゼ ゾーイ
ジュリア・ガーナー サラ
マリア・ディッツィア ケイティ
クリストファー・アボット マックス



マーサは、
孤独な日常から居場所を求めてカルト集団へ。
リーダーのパトリックからは新しい名前、マーシー・メイと呼ばれる。
そこでは数人の男女が、共同生活。
次第に安らぎを感じていくマーサ。
それから2年後、
集団のある行為に、不信感を抱き始めた彼女は
脱走を図り、音信不通だった姉夫婦のもとへ。
しかし、カルト集団での記憶は容易には消えなかった・・・






感想


2011年サンダンス映画祭〈監督賞〉・カンヌ国際映画祭〈ある視点部門・若者の視点賞〉等を受賞した
ショーン・ダーキン監督・脚本作品。

昨年から、楽しみにしていた作品☆
お初の「ミニシアター・ジャックアンドベティ(横浜)」さんでの鑑賞。
昔ながらのレトロな映画館雰囲気がこの映画にふさわしい~~~~笑。

期待通り~~
4,5日前に劇場で観たプレイブックよりず~と地味だけど、強烈なパワー。
ローレンスちゃんもいいけど
この映画の主人公、エリザベス・オルセンもすっごく魅力的。
この映画は彼女なしでは語れないものになっておりました・・・。


予備知識なしで観たかったので予告編もちらしも一切なし。
<カルト集団から脱出をはかった主人公のお話>程度の知識で突入・・・。
できれば、この程度の知識で鑑賞するのがベター。





・・・・いろいろ大きくネタバレ(鑑賞後にどうぞ)・・・・



冒頭。
のどかな農場風景。
幼児がよちよち歩きをしている・・・
あたりでは屋根を修理している男性や数人の女性の姿。
うす暗い食堂では
何枚もの皿を無造作に並べている女性。
どうやら・・食事が始まるようだ。数人の男性たちがどやどや。そのあと食事を終ったのを待っていたかのように女性集団がどやどや・・・と。そして黙々と食事する。

状況説明がほとんどなく
この異様な生活風景を目の当たりにするだけ。
あらすじ少しでも聞きかじっていたら、これがカルトの集団なのかもしれないと観客は想像できる・・・。
やがて、
ある朝、一人の女性がこの家から森に向かってそっと抜け出す。
「マーシー、マーシーメイどこへいく?」この声で、自分の想像は確信をもちはじめ
主人公がこの子ね~と認識し、注目度UP~~~。



追手を巻きながらマーシーメイと呼ばれた女性は町に出る。
町の喫茶で食事をしていると、
仲間の一人にみつかり声をかけられる。
ここでの半端ない緊張感。追手は彼女をみつけたのに
まあ、いいか・・・と言いながら
店から出ていくのよね。強引に連れも戻しにかからないのがかえって怖いような気がしたわ。


マーシーは迷いながらも
どこかに電話をかける。
そして迎えが・・・・。

どうやら迎えに来たのは姉のよう。
マーシーは数年間音信不通で久々に肉親と連絡をとったようだ・・


姉のルーシーと夫のテッドとコネチカットの湖畔の貸別荘で
新たな生活が始まる・・・
過去のことをあまり語らないマーサ。姉も多くは聞かない
(これはどうなの。やはり聞かないといけないんじゃないか・・・)


映画は過去のシーンと現在とを交互に映し出していくのだけれど
それは、マーサの意識の中で
ふと蘇るという感覚、そのものを表現しての、映像なので
映りだす最初のその瞬間は、それがどの世界か、ややわかりにくい・・・。
でも、カルトでのマーサは、マーシーメイという名であることを、頭に入れておけば
そのうち、この感覚に慣れていくことになるはず。

なにかにつけて、過去が思い出されるマーサ。
そして姉も
妹マーサの行動が、常識外れているものだと次第に感じ始める・・・


例えば・・・
姉と二人の湖畔にいたマーサは、泳ぎたいと言い出し突然、衣服を脱ぎ出し、飛び込むの。
素っ裸・・・・・・♪
慌てる姉に平然としているマーサ。
カルト集団では、よく裸で皆、泳いでいたマーサにとって
それは、普通の感覚でしかないのよね~~
また
姉と旦那のセックス最中にこれも平然と同じベットに入り込んでくる・・
マーサにとって、それは普通のことであるのは、セックス自体が公のものだと感じているから。
カルトでは皆が自由に愛し合っていたからね・・・・。リーダー、パトリックとも・・・そうだったしね。

もはや、これは普通でないと感じる姉夫婦。
でも
注意してマーサが納得していくうちはまだいいの。マーサだってこれはいかん!!と意識しているわけだから。
でも頭ではわかっていても、なかなか現実ではうまくいかなくなってくるの。
染みついた生活習慣&教えは、消え去ることなく、こびりついているのよね。
そのうち、彼女の意識の混濁が始まっていき、妄想にもとらわれ、ときには、カルト教団に連絡をとるような
恋しさも出てくる・・・(電話のシーンも怖い、教団ではやりとりがマニュアル化されて
いるんだよね。電話かけた相手にコールバックもしているのかな)
後半はもっともっと
激しくなるの・・。
静かなホラー・・・。


物語が始まってから
終始緊張感あふれる状況で
ドキドキしながらの鑑賞だったのだけど
後半からはそれプラス
だんだんと主人公の精神状態と自分の精神状態とが
同化していくような錯覚に陥っていくんですよね。(そういう見せ方している・・・映像も現在過去が入り乱れていくから・・・・)
彼女の精神の混乱は自分の精神の混乱にもなっていくの(あ・・・私だけか…笑)
あは~~洗脳みたいでヤバイです…笑


コミュニティーにおいての
私たちが当たり前だ、常識だと思える行動や規則は
多くの人たちがそういうものだと認識しているから、正しい・・・となるのですよね。
生まれてからず~~とこういうものだという価値観を植え付けられているから。
それは絶対揺るぎないものだとおもっていても
この映画のようにそれがいともたやすく上書きされてしまうっていう事実がそもそも恐ろしいでしょう?
マーサだってある一定の年齢までは姉と同様の社会に身をいていたに違いないのに
短期間のうちにころりと変貌してしまうんですから・・・。
それも強引っていうわけではなく、知らず知らずにうち自然にという形でですよ。
マーサがいたカルトのリーダーは
ジョン・ホークス演じるパトリック。
見た目、威圧感がある風貌でもないしオーラーが漂っているようにも見えないんだけど(普通のおっさんのような)その言葉には不思議な魔力があるように思えるの。(大丈夫か自分・・・・笑)
優しく語りかける口調。
時には厳しくもなるけれど
メンバー、一人一人を迷わず正しい道へと導いてくれるような
説得力ある語りをしてくれる・・・。
これをカリスマ性というのか・・・。
この居住地では
酒もたばこも禁止。
体を大切にしろと、自分を大切にしろと言われる・・・。
洋服も共同、寝場所、食事も男女には分かれているけど一緒。
仕事はそれぞれ役割分担。
そして男女がいるからか、当然のフリーセックス。
このコミュニティーに初めて来た女性の登竜門は、リーダのパトリックとの性交渉。
これが、虐待でなく、お清めとなってしまうのも、もはやお約束の道かもしれません。
マーサも同じような経験。そのうち、新人に、それを導くことができるような先輩へと成長していくのが
怖い・・・。
このカルトで、とくにマーサはリーダーに、可愛がられていたように感じます(彼女のあの顔と体はほっとけないよね・・・・)
「君は教師であり、リーダーだ・・・」
信頼されているというのは、今まで居場所がなかったマーサにとって特別なことだと思うし
このコミュニティーの中で役割を与えられるというのも
生きがいにも繋がっていたので
なかなか、抜け出せなかったのかも。
でも、そんな彼女の後押しをしたのが、この集団の、人を殺すという行為。
強盗殺人をやらかしてしまうんですよね。
これは、なかなか受け入れられないでしょう・・・・。
死というものが、どういうものかと語られても、そこだけは、うん!!!そうよね、リーダー!!とは
納得できなかったのよね。
唯一マーサの中で、一般的な常識が残っていた部分ってことなのかな。



今までのルールとは何もかも違う独自の世界をもったコミュニーティが現れて
その仲間たちの居心地があまりにも良いものだったら
やっぱり、染まってしまうのかな・・・と考えるとやっぱり怖いですよね・・・。
(主人公は孤独感があり理解者を求めていたからそういう社会に身を委ねてしまったと思われるが・・・。)
いや・・絶対私はそんなものには染まらないっていう
自信はあるけれど、でも心が折れそうな状況になり、誰からも見放されたとしたら
何かにすがりたくなるかもしれないし。
本当に大丈夫なんだろうかというのはわからないかもしれないよね・・・・なんて思ったりしました。



ラストは唐突にやってきます。
一瞬、戸惑うかもしれないけど冷静になってくるとあとからじわじわとした恐怖感に包まれるの。
そういう意味では映画の中で一番怖い場面よね。
あれはカルトの仲間なの?
それとも幻?
引き戻されるの?
それとも、無事に病院?
不安感が観る者を一気に襲ってきますよ。


自分たちには到底手に負えないとわかると
肉親といえども
手放してしまう家族。
そりゃ・・・そうでしょ。専門家にみせないと、一般人では元の世界へと引き戻すことは
なかなか無理だものね。
でもカルトの集団って一旦仲間に引き入れると、最後の最後まで
追ってくるのね。精神的な部分だけに注目したとしてもだよ。
どこまでも操っているってことじゃない?
それだけの強い結びつきって、家族よりも強い結びつきが
生まれる関係って
単純に凄いな・・・と思うわ。
やはり気をつけなきゃ・・・





↓パトリックが「マーシーに捧げる歌だ」とギターで歌を唄う・・・
君は絵画だ・・・とかだっけ?
これも強烈な印象。ここまでストレートだと、離れられなくなっちゃうのかも。
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アナザー プラネット

アナザー プラネット (2011  アメリカ)

ANOTHER EARTH


監督: マイク・ケイヒル
脚本: マイク・ケイヒル
ブリット・マーリング
撮影: マイク・ケイヒル
編集: マイク・ケイヒル
出演: ブリット・マーリング ローダ
ウィリアム・メイポーザー ジョン
ロビン・ロード・テイラー
マシュー=リー・アルルバフ


主人公ローダは
MITに合格した優秀な女子高生だが、
ある日、酔っ払い運転で、人を殺してしまう。
相手の車には
大学教授の夫、妻、子が乗っており
死亡したのは妻と子だけだった。
5年後、刑務所を出たローダ。
しかし、日々、罪を悔やむ毎日。
気持ちが落ち着かない彼女は
生き残った男性を探し、近づき、
お掃除の仕事を口実に
家へ出入りするようになる。
一方、世間ではもう一つの地球のことで話題持ちきりだ。
その惑星は5年前から突然空に現れた。
ローダは、そこにもう一人の自分がいると知り
会うために、宇宙船乗組員に応募することに・・・・。



感想


これはね・・・・・未公開だけど絶対お勧め・・・
お友達の評価が高くて
前から、観ようと思っていました。
やっぱり観て正解。
観たのは
前に感想あげた「メランコリア」あたり。
(感想あげるのは遅いですが)
設定が、ちょっと似たようなところがあるので
合わせてみてみると
非常に面白いかもしれないです。
SFものでも切り口によって、いろんな展開があるのね・・・っていう思いを感じられるのは
良かったかな。



設定はSF仕立てですけど
テーマは
「贖罪」というところかな。
もう一つの地球が現れた・・・、そこには
今の地球と同じ人物たちがどうやら存在する・・。
これにはびっくりだよね
でもそうだとわかると興味そそられるよね。
相手がどんな生活しているのか知りたい気分。


物語は
過ちを犯して苦しむ主人公の姿を丁寧におっているのが印象的。
彼女の心の苦しみ、どうやって拭いとっていえばいいのか。
みていて本当痛々しいです。
でも、
本人が招いた出来事だから、やはり自分でどうにか
抜け出していくしかないんだよね。

彼女は
刑に服してから、
社会復帰として仕事をはじめるの。
優秀な経歴をもっている彼女だけど選んだのは
掃除婦。
そこで出会う、目の不自由な老人。
彼も、人には言えない罪を犯してしまっている様子。
自分を痛めつけるしか方法がないのが悲しいよね・・・
どうしたらいいのか、わからないのかもしれない。


でも彼女は
被害者の男性に接することで、いたたまれない心の苦しみから
抜け出そうとするの。

被害者の男性と
最終的に
関係もってしまうんだけど
そこはちょっとどうよ・・・と思ったりもしたかな。
彼女の方からストップかけるべきだったと思うよ。
お互い傷が深くなるだけだからね。


そんな状況の中
もう一つの地球への降り立つチケットが彼女に当たる・・・
でも
彼女は
ある決断をするの。
チケットを譲るのよね・・・

それは彼女にとって、自分ができる最大限の彼への
罪滅ぼしだったのかも。
もう一つの地球にいる彼の家族にあわせてあげたいという・・・。
(こちらの世界では妻子は死んでいるからね)


そして、ラストカット。
彼が旅立った・・・・4ヶ月後に
彼女は自分と同じ女性に遭遇するという結末。
これは解釈がいろいろできるところ。



2つの地球。
お互いがお互いを意識してからズレが生じるて言っていたから
もはや同じシチュエーションで世界が回っていないってことだよね?
もうひとつの地球では
交通事故は起きていない・・・
妻子は生きている
加害者の彼女も夢を追って勉学に励んでいる・・・
地球1では罪を犯した相手の男にチケットを譲っていたが
地球2では
幸せな自分が存在して、普通に当たったチケットで地球1に降り立ったんだ・・
そう理解しました。

どちらにしろ、
彼女が罪から少しでも解放されたと
理解できるラスト。
もちろん、罪が消えたわけではないけど
気持ちの重さが少しでも軽減されたのだと
思えば、観ているこちらも少しは楽に感じる、そんなラストでした・・・


これもいい映画。

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