そして、私たちは愛に帰る
そして、私たちは愛に帰る (2007 ドイツ・トルコ)
AUF DER ANDEREN SEITE
THE EDGE OF HEAVEN
監督: ファティ・アキン
脚本: ファティ・アキン
撮影: ライナー・クラウスマン
音楽: シャンテル
出演: バーキ・ダヴラク ( ネジャット)
トゥンジェル・クルティズ (アリ)
ヌルギュル・イェシルチャイ (アイテン)
ハンナ・シグラ (スザンヌ)
ヌルセル・キョセ (イェテル)
パトリシア・ジオクロース (カ ロッテ)
ドイツ、ブレーメン。
初老のアリは男手一つで息子ネジャットを育て上げた。
その息子ネジャットはドイツで大学教授として働いている。
アリはある日、同じトルコ出身の娼婦イェテルと出会い、気に入る。
そして自分と一緒に暮らし、寝てくれたら、娼婦として稼ぐことができるお金と同額を
与えるという申し出をする。誘いに乗るイェテル。彼女はトルコにいる大学生の娘
アイテンを教師にするために仕送りをしているのでどうしてもお金が必要だったのだ。
ところがある事件が起きて・・
イェテルの娘アイテンは政治活動をしており、トルコを追われてしまっていた。
ドイツに不法入国して母の行方を捜していた彼女。
そんな彼女と偶然知り合ったドイツ人学生のロッテ。
ロッテは自分の家に招き、面倒を見ることにする。
母親スザンヌは、そんな娘の行動に不満を感じるが・・・
感想 ドイツ生まれのトルコ系移民二世である「愛より強く」のファティ・アキン監督の3作目。
実は「太陽に恋して」も事前チェックしたかったのですがレンタル屋さんにないといわれて
ガッカリです。前回観た「愛より強く」は強烈な映画でしたが
こちらはかなり地味な映画です。
雰囲気としてはまったく違うものとなっていましたが、
舞台になっているトルコとドイツにおける社会情勢は相変わらず興味深く、
描かれる物語も、人間関係の結びつきがとても面白く感じられ、厭きずに観ることができました。
話は3部構成で全体的につながっています。「バベル」のような構成です。
ただし、ブラビのようなイケメンさんは出てこないし、淡々と事実を描いていくという感じなので
似ているけれど地味という印象はぬぐえません。
「イェテルの死」「ロッテの死」「天国のほとりで」の3構成。
題名に死という言葉がついていることから、すでにその章の結末は想像できるところなんですが
まさか、そんな形で死んじゃうの?という驚きが、1章、2章、ともに感じます。
正直、続けて死ぬばかりはイヤだな~~と思っていたのですが、
あっさり描かれてしまうので、感傷に浸っている間もありませんでした。続いて、次の章が
始まりますしね。
「イェテルの死」・・・まず、ここに、エロいおじいさんが出てきます。
娼婦(といっても若くない中年女性、でも娼婦時の仕事着は結構派手~~~笑)
相手に、自分の欲望を満たそうとします。挙句の果ては一緒の生活を迫る・・・
息子も独り立ちして寂しいのかな・・・と同情してみるものの、自分が子だったら
複雑な心境です。この場合、子は男で、息子だったから、父親の気持ちもわかるよ・・・と
いうところでしょうが、娘だったら、「何やっているの。お父さん!!」ということになるのでは
ないかな。なかなか理解できないものね。
中盤、この父親が、心臓病で倒れた時は、「ゴメンよ。エロじいさんなんて思って。
病気だったのか・・・」と同情心がムクムク湧いたのですが
それも束の間。
あの、退院してからの、イェテルへの態度はなんですか!!。大人気ない・・
そしてその結果起こした事件。
これは息子だろうと娘だろうと・・当然距離置きたくなりますね・・・。自業自得か。
「ロッテの死」・・これは当然母親目線で観ました。
娘が、突然、身元不明な女友達を連れてきてしまった。
私が母親なら複雑。まして、友だちというか・・キスまでして、なにやら
妖しい雰囲気。アイテンと母親がのEUに加盟していないトルコについて議論する場面を見ながら
この2人は絶対相容れないものがあるな~~~と実感しました。
保守的な母親だったから、無理ないよね・・・
そして、悲惨な出来事。
アイテンのせいじゃないとわかっていても、私には
ムラムラする気持ちが湧いてきてしまいましたよ。
そんなあぶない事、彼女=ロッテに頼んで・・・と。
そして最終章「天国のほとりで」
ネジャットは1章で死んだイェテルの娘をアイテンを探すために大学教授の職をやめ
本屋経営をし始める→そこで知り合ったロッテに部屋を貸す→アイテンはその頃
刑務所の中・・と、出会いたい人々がそれぞれタイミングの悪さで
なかなか出会うことができません。ラストまで持ち越されるのです。(実際、会うという結末には
なっていないが・・・)
でも、会えないことに対するジレンマはあまり感じられなかったかな・・
どこかで繋がっているというのが観ていてわかるし、いづれ会えるということは明確。
だから何もいそぐ必要などないだろう・・・という
思いが最後まであったからです。
それよりも
この3組の親、子・・それぞれ生き方、考えたかも違う・・・・
そんな彼らが、国を越えながら・・死を体験しながら
たどり着いた結論というか、結末が
こういうことか・・・・と知りえたときの、自分の気持ちが
説明つかないもので
どうしていいか・・・わからない状態でした。
感動とは違うんですよね。
涙というのものも、全然なくって。
観終った直後は、正直、何も思えない状態で。
結局、
人間が最後にたどり着くところって、やっぱり温かい場所なんだな・・って
そう整理しきれたのは
数時間立って。
ジワジワと湧いてきたのです。
たぶん、そういう映画。すぐにはピンとこないと思うな・・・
時間がかかった理由としては・・・
ネジャットが父親との関係を修復する気持になるというのはすんなり
理解できる部分があったのですよ。
後半、スザンヌ相手に「犠牲祭」の話をしますよね。
そもそも犠牲祭とは
<神がイブラハムの信仰を試すため、彼に「最愛の息子イスマイルを生贄として捧げよ」と命令を下したことによるのだそう。イブラハムがその命令に従順に従ったので、神は彼の従順さを認めて、「息子の代わりに子羊を犠牲として差し出すように」と命じる。>
このことから、イスラム教徒は「神への絶対の服従の約束とゆるぎない信仰の証」のために
犠牲祭を行うようになったとか・・・
そのお祭りを引き合いに出して父親の話をするのです。
そこを
聞きながら、親のありがたさをしみじみ。
だからラストのネジャットの行動にも共感できたのです。
問題はもう一人の
娘ロッテを事故で亡くした母親スザンヌの気持ち。
これが・・・なかなか
すんなりこなくてね。私が、こういう状況だったら
かなり憎んでしまうと思ったのよ。もちろん、直接的ではなくとも
間接的なんだけれど、アイテンと知り合うことがなければ、娘ロッテは死なずにすんだのではないのかな・・・と、いやらしく感じてしまったから。
たぶん、アイテンの監獄に訪れても、すぐには優しい言葉
かけられなかったと思うのですよ、自分は。
それが、できたあの母親の大きさ・・。
この映画「全キリスト協会賞」を受賞しているんですよね。
人を憎むのではなく罪を憎む・・・
隣人を愛する・・・
許すこと、前に進むこと、運命を受け入れること・・・
そして人を愛すること・・
そんなことが、色々感じられるようになり
初めて
いい映画だったな・・・と実感したわけです。
すぐに響かなかったのはやっぱり未熟な自分だったから。
でもそうやって試行錯誤しながら自分の感情を整理していく過程が
結構好きだったりしています。
自分の心がちょっと豊かになってくるのは感じたかな。
題名の
「そして私たちは愛に帰る」これ、とっても素敵な言葉ですよね。
検索すると
そして・・・とつく映画って結構あるんですよね。
ネジャットが仕事場にする本屋。
探し物があったりすると、お茶を出して席を勧めてくれる
こじんまりとした雰囲気が気に入りました。
また、ネジャットとスザンヌがお食事するときに乾杯するお酒
冒頭で出てきた、ネジャット家の食事の内容も気になりました。
勉強になる映画でもあったな~~

AUF DER ANDEREN SEITE
THE EDGE OF HEAVEN
監督: ファティ・アキン
脚本: ファティ・アキン
撮影: ライナー・クラウスマン
音楽: シャンテル
出演: バーキ・ダヴラク ( ネジャット)
トゥンジェル・クルティズ (アリ)
ヌルギュル・イェシルチャイ (アイテン)
ハンナ・シグラ (スザンヌ)
ヌルセル・キョセ (イェテル)
パトリシア・ジオクロース (カ ロッテ)
ドイツ、ブレーメン。
初老のアリは男手一つで息子ネジャットを育て上げた。
その息子ネジャットはドイツで大学教授として働いている。
アリはある日、同じトルコ出身の娼婦イェテルと出会い、気に入る。
そして自分と一緒に暮らし、寝てくれたら、娼婦として稼ぐことができるお金と同額を
与えるという申し出をする。誘いに乗るイェテル。彼女はトルコにいる大学生の娘
アイテンを教師にするために仕送りをしているのでどうしてもお金が必要だったのだ。
ところがある事件が起きて・・
イェテルの娘アイテンは政治活動をしており、トルコを追われてしまっていた。
ドイツに不法入国して母の行方を捜していた彼女。
そんな彼女と偶然知り合ったドイツ人学生のロッテ。
ロッテは自分の家に招き、面倒を見ることにする。
母親スザンヌは、そんな娘の行動に不満を感じるが・・・
感想 ドイツ生まれのトルコ系移民二世である「愛より強く」のファティ・アキン監督の3作目。
実は「太陽に恋して」も事前チェックしたかったのですがレンタル屋さんにないといわれて
ガッカリです。前回観た「愛より強く」は強烈な映画でしたが
こちらはかなり地味な映画です。
雰囲気としてはまったく違うものとなっていましたが、
舞台になっているトルコとドイツにおける社会情勢は相変わらず興味深く、
描かれる物語も、人間関係の結びつきがとても面白く感じられ、厭きずに観ることができました。
話は3部構成で全体的につながっています。「バベル」のような構成です。
ただし、ブラビのようなイケメンさんは出てこないし、淡々と事実を描いていくという感じなので
似ているけれど地味という印象はぬぐえません。
「イェテルの死」「ロッテの死」「天国のほとりで」の3構成。
題名に死という言葉がついていることから、すでにその章の結末は想像できるところなんですが
まさか、そんな形で死んじゃうの?という驚きが、1章、2章、ともに感じます。
正直、続けて死ぬばかりはイヤだな~~と思っていたのですが、
あっさり描かれてしまうので、感傷に浸っている間もありませんでした。続いて、次の章が
始まりますしね。
「イェテルの死」・・・まず、ここに、エロいおじいさんが出てきます。
娼婦(といっても若くない中年女性、でも娼婦時の仕事着は結構派手~~~笑)
相手に、自分の欲望を満たそうとします。挙句の果ては一緒の生活を迫る・・・
息子も独り立ちして寂しいのかな・・・と同情してみるものの、自分が子だったら
複雑な心境です。この場合、子は男で、息子だったから、父親の気持ちもわかるよ・・・と
いうところでしょうが、娘だったら、「何やっているの。お父さん!!」ということになるのでは
ないかな。なかなか理解できないものね。
中盤、この父親が、心臓病で倒れた時は、「ゴメンよ。エロじいさんなんて思って。
病気だったのか・・・」と同情心がムクムク湧いたのですが
それも束の間。
あの、退院してからの、イェテルへの態度はなんですか!!。大人気ない・・
そしてその結果起こした事件。
これは息子だろうと娘だろうと・・当然距離置きたくなりますね・・・。自業自得か。
「ロッテの死」・・これは当然母親目線で観ました。
娘が、突然、身元不明な女友達を連れてきてしまった。
私が母親なら複雑。まして、友だちというか・・キスまでして、なにやら
妖しい雰囲気。アイテンと母親がのEUに加盟していないトルコについて議論する場面を見ながら
この2人は絶対相容れないものがあるな~~~と実感しました。
保守的な母親だったから、無理ないよね・・・
そして、悲惨な出来事。
アイテンのせいじゃないとわかっていても、私には
ムラムラする気持ちが湧いてきてしまいましたよ。
そんなあぶない事、彼女=ロッテに頼んで・・・と。
そして最終章「天国のほとりで」
ネジャットは1章で死んだイェテルの娘をアイテンを探すために大学教授の職をやめ
本屋経営をし始める→そこで知り合ったロッテに部屋を貸す→アイテンはその頃
刑務所の中・・と、出会いたい人々がそれぞれタイミングの悪さで
なかなか出会うことができません。ラストまで持ち越されるのです。(実際、会うという結末には
なっていないが・・・)
でも、会えないことに対するジレンマはあまり感じられなかったかな・・
どこかで繋がっているというのが観ていてわかるし、いづれ会えるということは明確。
だから何もいそぐ必要などないだろう・・・という
思いが最後まであったからです。
それよりも
この3組の親、子・・それぞれ生き方、考えたかも違う・・・・
そんな彼らが、国を越えながら・・死を体験しながら
たどり着いた結論というか、結末が
こういうことか・・・・と知りえたときの、自分の気持ちが
説明つかないもので
どうしていいか・・・わからない状態でした。
感動とは違うんですよね。
涙というのものも、全然なくって。
観終った直後は、正直、何も思えない状態で。
結局、
人間が最後にたどり着くところって、やっぱり温かい場所なんだな・・って
そう整理しきれたのは
数時間立って。
ジワジワと湧いてきたのです。
たぶん、そういう映画。すぐにはピンとこないと思うな・・・
時間がかかった理由としては・・・
ネジャットが父親との関係を修復する気持になるというのはすんなり
理解できる部分があったのですよ。
後半、スザンヌ相手に「犠牲祭」の話をしますよね。
そもそも犠牲祭とは
<神がイブラハムの信仰を試すため、彼に「最愛の息子イスマイルを生贄として捧げよ」と命令を下したことによるのだそう。イブラハムがその命令に従順に従ったので、神は彼の従順さを認めて、「息子の代わりに子羊を犠牲として差し出すように」と命じる。>
このことから、イスラム教徒は「神への絶対の服従の約束とゆるぎない信仰の証」のために
犠牲祭を行うようになったとか・・・
そのお祭りを引き合いに出して父親の話をするのです。
そこを
聞きながら、親のありがたさをしみじみ。
だからラストのネジャットの行動にも共感できたのです。
問題はもう一人の
娘ロッテを事故で亡くした母親スザンヌの気持ち。
これが・・・なかなか
すんなりこなくてね。私が、こういう状況だったら
かなり憎んでしまうと思ったのよ。もちろん、直接的ではなくとも
間接的なんだけれど、アイテンと知り合うことがなければ、娘ロッテは死なずにすんだのではないのかな・・・と、いやらしく感じてしまったから。
たぶん、アイテンの監獄に訪れても、すぐには優しい言葉
かけられなかったと思うのですよ、自分は。
それが、できたあの母親の大きさ・・。
この映画「全キリスト協会賞」を受賞しているんですよね。
人を憎むのではなく罪を憎む・・・
隣人を愛する・・・
許すこと、前に進むこと、運命を受け入れること・・・
そして人を愛すること・・
そんなことが、色々感じられるようになり
初めて
いい映画だったな・・・と実感したわけです。
すぐに響かなかったのはやっぱり未熟な自分だったから。
でもそうやって試行錯誤しながら自分の感情を整理していく過程が
結構好きだったりしています。
自分の心がちょっと豊かになってくるのは感じたかな。
題名の
「そして私たちは愛に帰る」これ、とっても素敵な言葉ですよね。
検索すると
そして・・・とつく映画って結構あるんですよね。
ネジャットが仕事場にする本屋。
探し物があったりすると、お茶を出して席を勧めてくれる
こじんまりとした雰囲気が気に入りました。
また、ネジャットとスザンヌがお食事するときに乾杯するお酒
冒頭で出てきた、ネジャット家の食事の内容も気になりました。
勉強になる映画でもあったな~~

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