ノルウェイの森
ノルウェイの森 (2010 日本)
NORWEGIAN WOOD
監督: トラン・アン・ユン
プロデューサー: 小川真司
エグゼクティブプ
ロデューサー: 豊島雅郎
亀山千広
原作: 村上春樹
脚本: トラン・アン・ユン
撮影: マーク・リー・ピンビン
美術: イェンケ・リュゲルヌ
安宅紀史
編集: マリオ・バティステル
音楽: ジョニー・グリーンウッド
音楽プロデューサ
ー: 安井輝
主題歌: ザ・ビートルズ
『ノルウェーの森』
照明: 中村裕樹
録音: 浦田和治
助監督: 片島章三
製作事業統括: 寺嶋博礼
石原隆
出演: 松山ケンイチ ワタナベ
菊地凛子 直子
水原希子 緑
高良健吾 キズキ
霧島れいか レイコ
初音映莉子 ハツミ
柄本時生 突撃隊
糸井重里 大学教授
細野晴臣 レコード店店長
高橋幸宏 阿美寮門番
玉山鉄二 永沢
高校時代の親友キズキを失ったワタナベは、悲しみを心に秘めながら
東京での大学生活を始める。
ある日、偶然キズキの恋人直子と再会する。
同じ痛みを共有する2人は、お互いに惹かれていくが
直子は、自分の20の誕生日を境に、突然、ワタナベのもとを去ってしまう。
精神のバランスを崩した直子は、京都の療養所に入ったのだ。
直子と会えない日々が続く中、ワタナベは大学で
積極的な女性、緑と出会う。
感想
1987年の作品発表時、私も世間の多くの人と同様、赤と緑の上下本を購入しました。
村上作品ファンでもなかった自分でしたが、
話題作を皆と共有したいという思いがあったからなんでしょうね。
しかし、あれから、この物語を読み返したことは、ありませんでした。
当時、大学生の主人公と似たような年齢だった自分にとって
このお話は、強烈でしたね~~~。
性的な表現が多いということも、理由の一つだったかもしれません。
あれほど、いろいろな単語がでてくるものは、あの頃初めてだったから・・・。
ワタナベは、直子と、緑のはざまで葛藤するわけですが、
一方で、行きずりの女性とも関係をいともたやすく結んでしまいますよね。
永沢さんのそれとは、また違う感じだとは思いますが
それにしても、そういう部分において男の人ってどうなの・・・って思ってしまうところがあったのも事実。
性のことを重視した内容だけではないとわかっていても
皆があからさまに、性のことを語るという姿勢についていけない自分もいました。
でも、どうしようもない切ない気持だけはなぜだか、感じとることができたの。
わからないところも多くあったのだけれど・・・
また、それ以上に
私が思ったことは…当時ね。
こういう切ない想いって、年齢を重ねて、振り返るからこそ
湧きでてくるんだろうな・・・ということだった気がします。
この物語って、1987年現在の主人公が、18年前の自分を回顧する物語。
こんな深い悲しい想い出を背負っている主人公に
不思議な感情を抱いてしまったのね。
振り返って思い出すことができるそんな恋、出会いを私はこれからの人生どのくらい、できるのだろうか・・・っていうことも感じていたのよ。
まだ、若かった自分は、これから起こる、様々な出来事に
不安を抱いていたし、一方で期待もしていた・・・
まあ…結果として、数々の死というものには出会ったこなかったけれど、
それなりに、人生における恋の痛みは経験してきたつもり。
そして今・・この時期にこの映画を観て
ああ・・・この時期だからこそ、余計、良かったかなって思います。
同時にこの機会にまた再読もしました☆。
2回しか読まないで何を~~~って言われそうだけれど、同じ再読でも
年月たって読むと、全然違うものが見えてくるんですよね~~
で・・・結局、映画はどうよ?ってことになりますよね。
原作ファンが多いこの作品。与えられたハードルは高かったと思いますよ。
配役についても、ものすごく読み込んでいる人にとっては、イメージが出来てしまっている分、
賛否両論は当然だと思うし。
私は、ワタナベの松山ケンイチ OKでした。良かったです。
物言いがとっても優しくって。
小説&映画でも、ワタナベ君のしゃべりかたが好きと、緑に言わせるほど
独特な話し方をする彼。
ハンフリー・ボガートみたいにクールでタフでという表現(緑はそう言っていたような)が当てはまるかどうかは微妙だったけれど、
私的には耳に心地よい声質でもあったし、なにより、小説にほぼ忠実なセリフを言っても
全然違和感なかったのが驚きでした。
そういうところでは、
緑もかなり・・・特徴的なセリフを語りますよね。こちらも、違和感なかったように思います。
ああ・・あのセリフ言っているよ・・っていう感動の方が大きかったかもしれないけれど・・笑
緑演じる女優さんがまったく知らない方だったし、先入観がなかった分、
受け入れられたのかもしれません。
恵まれた家庭環境ではない彼女だったけれど、終始生きるってことに前向きでしたよね?
キラキラしていた・・・。そんな生命力あふれる緑の姿は
新人の彼女の姿にも合わさって、お似合いだったと思います。
ただ、私の中の緑ってかなり、強烈な印象があったので・・・。
結構大人しめかなとも思いました。
直子は・・難しいですよね。
菊地凛子は口元が好みじゃあないんですよ。さすがに、演技者だな・・・って思うところは
多々あって、彼女の心の闇はうまく表現していたと思うし、
私も観ながら、息苦しくなることたびたびでした。
でも、なんか・・・違うかなって思ったかな。
ちょっと想像できないんですよ。俳優さんを当てはめるってことがね。
キーパーソンですからね。
まあ・・・原作読んでいる全ての人にそれぞれのイメージがあるわけですし、
それに合わせることができる人なんてそういませんからね。
原作は長いですし
全部のエピソードを入れこむというのは到底不可能。
だからか、
映画だけ観たら、
ちょっとつかみどころがない印象をもってしまうかもしれないな…って思いました。
原作だけでもわかりづらい心境部分があるのに
大きく切り取ってしまっている映画で、それを理解しようと思うのは到底無理なんじゃあないのかなって
思います。
直子の過去(キズキの他にも身近な死を経験)
レイコさんの過去(病気になった経緯、また悪意をもった少女との出会い)
緑にまつわる話にしろ(お父さんの病院での出来事・・)
やっぱり大幅に端折られているんですよね。
緑のワタナベへの思い、
ワタナベの緑への思いはもっともっとせつないものだと思ったし・・。
レイコさんと直子との繋がりも想像以上に深いものだし
もちろん、直子自身のことに関してもね。
でも映画ならではの良さもあったかも。
なぜキズキ君と寝なかったのかとという理由を映画では
長々と草原の中を歩き回りながら説明していましたが、あれは良かったです。
すっごく印象的に思えました。
映像的にもその内容にも。
また、直子に死をしったあとの、ワタナベの岩場での慟哭のシーン。
あれも映像で観ると印象深かったです。
それと時代背景と、風景描写ですかね。
60年代の生活風景が
経験してはいないのですが…笑・・
とっても忠実に再現されていたように思います。
風景もとっても美しく描かれていましたよね。
雪のシーンなんて素敵でしたね。
下↓の緑とワタナベのショット、好きですよ。
反対に直子の死の場面については
う~~んでしたけれど。
自殺したということで足首がみえていましたよね?もろに映像で自殺がわかる部分でした。
ものすごく怖かったです。生々しくって・・・
直子は確かに首をつって死んでしまうわけですが、原作ではそういう生々しさは
なかったわけです。章が変わった途端、直子が死んでからという・・・さりげない部分で
始まり知らされるわけです。
もちろん、レイコさんによってそのあと、詳しく直子の自殺前夜のことが説明されますが
受ける身としてはあまり生々しくはない。死んでしまったという事実自体は衝撃的ですが
映像でみるのとはまた違ってきますよね。
さらに、直子が死の直前
レイコさんに語ったこと。
なぜ死を選んでしまったかということ・・・。
その理由がはっきりとはわからなくても、原作のその部分を読むことで感じとることができるのですが
映画だとただ病気ゆえかな・・・という程度にしか感じとれないと思うのです。
そのあとのレイコさんがワタナベを訪問して結果、寝てしまうという行為も
微妙な感じですよね・・・映画は。
原作でもわかりづらいとは思うのですが(その感覚)、映画ではそれ以上。
いろいろ思うことも
ありましたが、
冒頭書いたように
今、この年になって
ノルウェイに浸ることができて良かったかなという思いは
あります。
<死は生の対極としてではなく、その一部として存在している>
なんだか・・最近になってこの言葉の意味の重さに
気付かされています。
ところで・・
ワタナベの大学生活は東京でした。
懐かしいです。学生時代、就職と、当時はそのあたりを
生活圏にしていましたが、いまは・・別の土地。
だから、物語を離れたところでも懐かしく感じましたね。
時代は全然違うけれどね。
大学生活は早稲田でしたね。(撮影場所)
自分は早稲田ではないのですが、今年、たまたま、学園祭にお邪魔しました。
だから校舎が記憶にあって。
ああ・・・マツケンここに来たのねとミーハー気分が
ふつふつと沸いてきました。
学園祭は、そりゃ・・あ、もうお祭り騒ぎ・・・笑
60年代のあの学生闘争の雰囲気とは違うものを感じましたね。(当たり前ですが)
時代は変わっていくのね・・・。
映画館は年配の方多し・・・。
若い人はどう感じたのでしょうね。

NORWEGIAN WOOD
監督: トラン・アン・ユン
プロデューサー: 小川真司
エグゼクティブプ
ロデューサー: 豊島雅郎
亀山千広
原作: 村上春樹
脚本: トラン・アン・ユン
撮影: マーク・リー・ピンビン
美術: イェンケ・リュゲルヌ
安宅紀史
編集: マリオ・バティステル
音楽: ジョニー・グリーンウッド
音楽プロデューサ
ー: 安井輝
主題歌: ザ・ビートルズ
『ノルウェーの森』
照明: 中村裕樹
録音: 浦田和治
助監督: 片島章三
製作事業統括: 寺嶋博礼
石原隆
出演: 松山ケンイチ ワタナベ
菊地凛子 直子
水原希子 緑
高良健吾 キズキ
霧島れいか レイコ
初音映莉子 ハツミ
柄本時生 突撃隊
糸井重里 大学教授
細野晴臣 レコード店店長
高橋幸宏 阿美寮門番
玉山鉄二 永沢
高校時代の親友キズキを失ったワタナベは、悲しみを心に秘めながら
東京での大学生活を始める。
ある日、偶然キズキの恋人直子と再会する。
同じ痛みを共有する2人は、お互いに惹かれていくが
直子は、自分の20の誕生日を境に、突然、ワタナベのもとを去ってしまう。
精神のバランスを崩した直子は、京都の療養所に入ったのだ。
直子と会えない日々が続く中、ワタナベは大学で
積極的な女性、緑と出会う。
感想
1987年の作品発表時、私も世間の多くの人と同様、赤と緑の上下本を購入しました。
村上作品ファンでもなかった自分でしたが、
話題作を皆と共有したいという思いがあったからなんでしょうね。
しかし、あれから、この物語を読み返したことは、ありませんでした。
当時、大学生の主人公と似たような年齢だった自分にとって
このお話は、強烈でしたね~~~。
性的な表現が多いということも、理由の一つだったかもしれません。
あれほど、いろいろな単語がでてくるものは、あの頃初めてだったから・・・。
ワタナベは、直子と、緑のはざまで葛藤するわけですが、
一方で、行きずりの女性とも関係をいともたやすく結んでしまいますよね。
永沢さんのそれとは、また違う感じだとは思いますが
それにしても、そういう部分において男の人ってどうなの・・・って思ってしまうところがあったのも事実。
性のことを重視した内容だけではないとわかっていても
皆があからさまに、性のことを語るという姿勢についていけない自分もいました。
でも、どうしようもない切ない気持だけはなぜだか、感じとることができたの。
わからないところも多くあったのだけれど・・・
また、それ以上に
私が思ったことは…当時ね。
こういう切ない想いって、年齢を重ねて、振り返るからこそ
湧きでてくるんだろうな・・・ということだった気がします。
この物語って、1987年現在の主人公が、18年前の自分を回顧する物語。
こんな深い悲しい想い出を背負っている主人公に
不思議な感情を抱いてしまったのね。
振り返って思い出すことができるそんな恋、出会いを私はこれからの人生どのくらい、できるのだろうか・・・っていうことも感じていたのよ。
まだ、若かった自分は、これから起こる、様々な出来事に
不安を抱いていたし、一方で期待もしていた・・・
まあ…結果として、数々の死というものには出会ったこなかったけれど、
それなりに、人生における恋の痛みは経験してきたつもり。
そして今・・この時期にこの映画を観て
ああ・・・この時期だからこそ、余計、良かったかなって思います。
同時にこの機会にまた再読もしました☆。
2回しか読まないで何を~~~って言われそうだけれど、同じ再読でも
年月たって読むと、全然違うものが見えてくるんですよね~~
で・・・結局、映画はどうよ?ってことになりますよね。
原作ファンが多いこの作品。与えられたハードルは高かったと思いますよ。
配役についても、ものすごく読み込んでいる人にとっては、イメージが出来てしまっている分、
賛否両論は当然だと思うし。
私は、ワタナベの松山ケンイチ OKでした。良かったです。
物言いがとっても優しくって。
小説&映画でも、ワタナベ君のしゃべりかたが好きと、緑に言わせるほど
独特な話し方をする彼。
ハンフリー・ボガートみたいにクールでタフでという表現(緑はそう言っていたような)が当てはまるかどうかは微妙だったけれど、
私的には耳に心地よい声質でもあったし、なにより、小説にほぼ忠実なセリフを言っても
全然違和感なかったのが驚きでした。
そういうところでは、
緑もかなり・・・特徴的なセリフを語りますよね。こちらも、違和感なかったように思います。
ああ・・あのセリフ言っているよ・・っていう感動の方が大きかったかもしれないけれど・・笑
緑演じる女優さんがまったく知らない方だったし、先入観がなかった分、
受け入れられたのかもしれません。
恵まれた家庭環境ではない彼女だったけれど、終始生きるってことに前向きでしたよね?
キラキラしていた・・・。そんな生命力あふれる緑の姿は
新人の彼女の姿にも合わさって、お似合いだったと思います。
ただ、私の中の緑ってかなり、強烈な印象があったので・・・。
結構大人しめかなとも思いました。
直子は・・難しいですよね。
菊地凛子は口元が好みじゃあないんですよ。さすがに、演技者だな・・・って思うところは
多々あって、彼女の心の闇はうまく表現していたと思うし、
私も観ながら、息苦しくなることたびたびでした。
でも、なんか・・・違うかなって思ったかな。
ちょっと想像できないんですよ。俳優さんを当てはめるってことがね。
キーパーソンですからね。
まあ・・・原作読んでいる全ての人にそれぞれのイメージがあるわけですし、
それに合わせることができる人なんてそういませんからね。
原作は長いですし
全部のエピソードを入れこむというのは到底不可能。
だからか、
映画だけ観たら、
ちょっとつかみどころがない印象をもってしまうかもしれないな…って思いました。
原作だけでもわかりづらい心境部分があるのに
大きく切り取ってしまっている映画で、それを理解しようと思うのは到底無理なんじゃあないのかなって
思います。
直子の過去(キズキの他にも身近な死を経験)
レイコさんの過去(病気になった経緯、また悪意をもった少女との出会い)
緑にまつわる話にしろ(お父さんの病院での出来事・・)
やっぱり大幅に端折られているんですよね。
緑のワタナベへの思い、
ワタナベの緑への思いはもっともっとせつないものだと思ったし・・。
レイコさんと直子との繋がりも想像以上に深いものだし
もちろん、直子自身のことに関してもね。
でも映画ならではの良さもあったかも。
なぜキズキ君と寝なかったのかとという理由を映画では
長々と草原の中を歩き回りながら説明していましたが、あれは良かったです。
すっごく印象的に思えました。
映像的にもその内容にも。
また、直子に死をしったあとの、ワタナベの岩場での慟哭のシーン。
あれも映像で観ると印象深かったです。
それと時代背景と、風景描写ですかね。
60年代の生活風景が
経験してはいないのですが…笑・・
とっても忠実に再現されていたように思います。
風景もとっても美しく描かれていましたよね。
雪のシーンなんて素敵でしたね。
下↓の緑とワタナベのショット、好きですよ。
反対に直子の死の場面については
う~~んでしたけれど。
自殺したということで足首がみえていましたよね?もろに映像で自殺がわかる部分でした。
ものすごく怖かったです。生々しくって・・・
直子は確かに首をつって死んでしまうわけですが、原作ではそういう生々しさは
なかったわけです。章が変わった途端、直子が死んでからという・・・さりげない部分で
始まり知らされるわけです。
もちろん、レイコさんによってそのあと、詳しく直子の自殺前夜のことが説明されますが
受ける身としてはあまり生々しくはない。死んでしまったという事実自体は衝撃的ですが
映像でみるのとはまた違ってきますよね。
さらに、直子が死の直前
レイコさんに語ったこと。
なぜ死を選んでしまったかということ・・・。
その理由がはっきりとはわからなくても、原作のその部分を読むことで感じとることができるのですが
映画だとただ病気ゆえかな・・・という程度にしか感じとれないと思うのです。
そのあとのレイコさんがワタナベを訪問して結果、寝てしまうという行為も
微妙な感じですよね・・・映画は。
原作でもわかりづらいとは思うのですが(その感覚)、映画ではそれ以上。
いろいろ思うことも
ありましたが、
冒頭書いたように
今、この年になって
ノルウェイに浸ることができて良かったかなという思いは
あります。
<死は生の対極としてではなく、その一部として存在している>
なんだか・・最近になってこの言葉の意味の重さに
気付かされています。
ところで・・
ワタナベの大学生活は東京でした。
懐かしいです。学生時代、就職と、当時はそのあたりを
生活圏にしていましたが、いまは・・別の土地。
だから、物語を離れたところでも懐かしく感じましたね。
時代は全然違うけれどね。
大学生活は早稲田でしたね。(撮影場所)
自分は早稲田ではないのですが、今年、たまたま、学園祭にお邪魔しました。
だから校舎が記憶にあって。
ああ・・・マツケンここに来たのねとミーハー気分が
ふつふつと沸いてきました。
学園祭は、そりゃ・・あ、もうお祭り騒ぎ・・・笑
60年代のあの学生闘争の雰囲気とは違うものを感じましたね。(当たり前ですが)
時代は変わっていくのね・・・。
映画館は年配の方多し・・・。
若い人はどう感じたのでしょうね。

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