ナイロビの蜂
ナイロビの蜂 (2006年 イギリス)
監督 フェルナンド・メイレレス
出 レイフ・ファインズ(ジャスティン)
レイチェル・ワイズ(テッサ)
ダニー・ヒューストン(サンディ・ウッドロウ)
ビル・ナイ(サー・バーナード・ぺレグリン)
ピート・ポスルスウェイト(ロービア)
製作:サイモン・チャニング=ウィリアムズ
脚本:ジェフリー・ケイン
原作:ジョン・ル・カレ
音楽:アルベルト・イグレシアス
原作はジョン・ル・カレの『ナイロビの蜂』。
情熱的な若妻テッサと、植物を愛する穏やかな
外交官の夫ジャスティン。
2人は 結婚し夫の駐在先のナイロビで暮らしていた。仕事で旅立つ
妻を2日前に見送ったばかりのジャスティンの元に
妻の死の知らせが届く。
妻の死に疑問をもったジャスティンは、
真相を独自に調べ始める。
そして、アフリカで横行する薬物実験、
官僚と大手製薬会社との癒着にたどり着く・・。
テッサの想いを引き継ぐジャスティンだが・・。
感想 レイフファン必見の映画です。
賞を受賞したのはレイチェルですが、私は、レイフも
かなり・・良かったと思います。
むしろ、レイチェルより良かったのではと・・・笑
私はずいぶん前に原作を読みました。
これに彼が主演するとわかってすぐ手を出したのです。
詳細は忘れてしまっていたのですが、主だったストーリーは把握していたということで、いわゆる予備知識ありの状態でした。
ですから、え・・・甘いラブ・ストーリーじゃあないの~
こんなに社会的な要素が含まれていたの~~というような
意外だった的な・・感想は持ちませんでした。
原作どおり・・・だと・・笑
(巷の宣伝によるとロマンス色が強い感じですけど、ちょっと違いますよね。)
原作はスローテンポの展開なので読むのが、苦痛でしたので、
映画のような早いスピードで進んでくれた方が私にはかえって
ありがたかったです。本を読んだ限り
ラブ・ロマンス的なものに関しては感情移入しにくかったように記憶しています。でも、映画では、
生身の人間が演じているでしょ。心の動きが、表情、行動で
リアルに伝わってくるんですよね。
ですから、夫婦のあり方というものが
強く感じ取れましたね。
さて・・この物語は
一つのジャンルには当てはまらない作品です。
ラブと(夫婦愛の再確認?)と社会派サスペンス。
2つの観点から感想書きますね。
社会派ということで。
ナイロビの現状が描き出されます。
医療も満足に受けられない人々。
貧しい生活を送っている人々たちを、利用しようとする
権力者たち・・。
どんな状況下で生きていようとも与えられた命の
重さに違いはありません。
いとも簡単に捨て去ってもいい命など
どこにもないのです。
でも・・・だからといって、そういう現状を見て見ぬふりするのが
多くの人たち。なぜなら、どこかで、なにをしても
変わることなど何もないと考えるからかもしれません。それは
映画、冒頭の外交官ジャスティンも同様だったでしょう。
でも、ジャスティンは変わっていきます。
彼を動かしたのは、妻への死が原因で、愛を知ることによって
彼は人としてとっても魅力的な人物になっていったと思うのです。
事なかれ主義から、自分の信念を貫くほどの熱い人物に
なっていったこと・・。映画後半、飛行機に子どもを乗せようと
する試みもその表れであるでしょう。
でも、ことはそんな簡単には収拾しないのが、現実。
ここらへんはちょっと複雑な思いも感じなくはなかったですね・・・。
映画を観ながら自分達も、何か得るものが、あったはず。
何かできることから始めようという精神をもつようになれたの
ならば、そういった意味において
この作品は非常に価値あるものだと思うのです。
さて・・次に夫婦愛・・。
語らせると長いよ・・・笑
ジャスティンを動かしたのは、まさに妻への思いからに
違いありません。
この夫婦・・私たち一般人の夫婦関係とは
また異質であると思えるところもあります。
夫婦関係があまり描かれていない分、
妻の夫への愛がわかりにくいとも
思います。(映画においては夫の心の動きの方が明確・・
だからそちらの方が断然感情移入できますね・・レイフだし・・。)
彼らの結びつきをみると、ジャスティンは、テッサの押せ押せムードに巻き込まれて、強引に結婚させられてしまったという様子が伺えますよね。愛人でも妻でもいいから連れてって・・というプロポーズは
どうかと思えますしね・・。好きといえば・・ってね・・笑
ジャスティンにしてみれば、嫌いじゃあないけれど、まさか、こんなに早く結婚を考えるとは・・と思っていたんじゃないの?映画を観る限りはテッサは、ジャスティンを自分の信念を貫くための手段として
考えていたように思われます。
これが、そもそもこの夫婦の、結婚にいたるまでの過程で
納得いかない点を感じる部分ではあるでしょう。
「あなたといると安心するの」
というテッサのいう安心とは
仕事ができる環境ということのように感じられます。
テッサにとっての、夫というのは
一般的のそれとは大きく違うように感じます。
雨の降る中・・遅くまで仕事をしてきた妻を
1人膝を抱えて待ている夫。身重の妻の体を案じての夫なのに
妻は「待っていなくても・・いいのに・・・」
なんて。そりゃ・・・夫・・レイフは可哀想・・。
でも、テッサは別に悪気はなかったのかも。
それがテッサの夫に対する愛情。自分のために夫が
つらい思い・・苦痛を感じているのをすまなく感じるのが
テッサなのです。
だから、夫を守るために真実をいわなかったというのは
テッサなりの愛です。テッサは弱くないのです。
限りなく強い・・。強すぎてかえってジャスティンには理解の出来ない存在でもあったのですよね。
私は、普通人だから、そんな大きな愛はなく、
あなた・・助けて・・・と告白しちゃうタイプですかね。
つまり、テッサは、女性的な要素を持ちながら
精神は男性的なように感じますね。
夫の・・妻の人生に干渉しないという考え方と
妻の・・・肝心なことは何一つ夫には伝えない・・・という・・
考え方。
すべてを分かち合ってこその夫婦・・・という私の考えとは
違う夫婦像です。
それはやはり気にはかかります。
2人がどんなにか信頼しあい
愛し合っていたというものには感じられなかったからね。
でもそれが逆に後半の展開にいきてきたと思うのです。
後半・・・彼の愛再確認もしくは、真実の愛に到達する過程には
やっぱりうるうるしてきたのです。
ジャスティンはテッサ=自分の愛した人はどんな人かということを
知る中で、新たな愛を見つけ出していったといっていいでしょう。
それは真実の愛です。
そうね・・倦怠期の夫、もしくは妻が、お互いの伴侶の
新たな面を発見し、再び愛を確認するような心境よね・・
あ・・倦怠期ではありませんが・・・笑
2人が出発した時点では(結婚・・当初)
心底わかりあっていたとはいえない・・・
結婚してもやはりお互いの心の中にまでは
入っていかない夫婦だったのだから、やはりわかりあっていたとは
いえない・・・どこか溝があったのでは・・。
でも、その溝を妻の死をきかっけとして
埋めていったのではないかと・・・。
夫のほうが歩み寄ったという形ですが。
テッサの自分への愛は、大きかった。
彼女のもつ愛は、アフリカの民にたいして与えていた
愛と同じようなものだったような気がします。
比べちゃ・・悪いけれど、
彼女の夫への愛はアフリカの民と同じくらいに強かったん
じゃあないかな。人類愛みたいな感じ。
だから、普通人の夫婦の愛とはちょっと違うような・・。
彼女の愛が大きかったという表現は、そういった意味で使われていた
ような気がしますよ。
彼女なりの愛なので
私の夫への感情とは違うような気はするけれど。
地の果てで、やっと君に帰る。
ラストは、物哀しいものではあるけれど、
彼にとっては幸せな選択であったのかもしれませんね。
汗でにじんだTシャツ姿のレイフがとても素敵でした。
小汚くても魅力的。むしろそのほうがいい・・
あ・・・映像について。
回想を多くし、残酷な面は直接的にはみせず、
なにより、現場のリアル感を出すような演出でした。
ラブもサスペンスもバランスよく組み込まれていて
よく出来ていたんじゃあないかな・・。
前作の方が、力強さというものが感じられたけれど
これは原作ありの作品なので、これはこれでよかったと思っています。
ところで、思想の違う夫婦の姿といえば、
私は「追憶」を思い出すのですが、似ていませんか。
活動的な妻に対して何事も穏便に済まそうとする夫。
結局のところ妻の生き方を理解しがたい夫は、
妻と別れる決断をしてしまいます。愛していても、
生活できないということはあるものです。
でも、レイフ扮するジャスティンは
自分を変えていくんです。
そこがいいな・・・。でも愛する人はもういないというのも
むなしいですが・・。
この物語は彼なしでは成立しなかったのではないでしょうか。
ってそこまで言っていいのか・・笑
夫婦とはやはり相手の世界に入り込むことだと。
そういう意味では私はテッサへも
同じ思いを要求しますね。
死んじゃったけれどね。
彼女もまたジャスティンを思いやるべきでは・・。
やはり隠すのは
どうかと思うよね。


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監督 フェルナンド・メイレレス
出 レイフ・ファインズ(ジャスティン)
レイチェル・ワイズ(テッサ)
ダニー・ヒューストン(サンディ・ウッドロウ)
ビル・ナイ(サー・バーナード・ぺレグリン)
ピート・ポスルスウェイト(ロービア)
製作:サイモン・チャニング=ウィリアムズ
脚本:ジェフリー・ケイン
原作:ジョン・ル・カレ
音楽:アルベルト・イグレシアス
原作はジョン・ル・カレの『ナイロビの蜂』。
情熱的な若妻テッサと、植物を愛する穏やかな
外交官の夫ジャスティン。
2人は 結婚し夫の駐在先のナイロビで暮らしていた。仕事で旅立つ
妻を2日前に見送ったばかりのジャスティンの元に
妻の死の知らせが届く。
妻の死に疑問をもったジャスティンは、
真相を独自に調べ始める。
そして、アフリカで横行する薬物実験、
官僚と大手製薬会社との癒着にたどり着く・・。
テッサの想いを引き継ぐジャスティンだが・・。
感想 レイフファン必見の映画です。
賞を受賞したのはレイチェルですが、私は、レイフも
かなり・・良かったと思います。
むしろ、レイチェルより良かったのではと・・・笑
私はずいぶん前に原作を読みました。
これに彼が主演するとわかってすぐ手を出したのです。
詳細は忘れてしまっていたのですが、主だったストーリーは把握していたということで、いわゆる予備知識ありの状態でした。
ですから、え・・・甘いラブ・ストーリーじゃあないの~
こんなに社会的な要素が含まれていたの~~というような
意外だった的な・・感想は持ちませんでした。
原作どおり・・・だと・・笑
(巷の宣伝によるとロマンス色が強い感じですけど、ちょっと違いますよね。)
原作はスローテンポの展開なので読むのが、苦痛でしたので、
映画のような早いスピードで進んでくれた方が私にはかえって
ありがたかったです。本を読んだ限り
ラブ・ロマンス的なものに関しては感情移入しにくかったように記憶しています。でも、映画では、
生身の人間が演じているでしょ。心の動きが、表情、行動で
リアルに伝わってくるんですよね。
ですから、夫婦のあり方というものが
強く感じ取れましたね。
さて・・この物語は
一つのジャンルには当てはまらない作品です。
ラブと(夫婦愛の再確認?)と社会派サスペンス。
2つの観点から感想書きますね。
社会派ということで。
ナイロビの現状が描き出されます。
医療も満足に受けられない人々。
貧しい生活を送っている人々たちを、利用しようとする
権力者たち・・。
どんな状況下で生きていようとも与えられた命の
重さに違いはありません。
いとも簡単に捨て去ってもいい命など
どこにもないのです。
でも・・・だからといって、そういう現状を見て見ぬふりするのが
多くの人たち。なぜなら、どこかで、なにをしても
変わることなど何もないと考えるからかもしれません。それは
映画、冒頭の外交官ジャスティンも同様だったでしょう。
でも、ジャスティンは変わっていきます。
彼を動かしたのは、妻への死が原因で、愛を知ることによって
彼は人としてとっても魅力的な人物になっていったと思うのです。
事なかれ主義から、自分の信念を貫くほどの熱い人物に
なっていったこと・・。映画後半、飛行機に子どもを乗せようと
する試みもその表れであるでしょう。
でも、ことはそんな簡単には収拾しないのが、現実。
ここらへんはちょっと複雑な思いも感じなくはなかったですね・・・。
映画を観ながら自分達も、何か得るものが、あったはず。
何かできることから始めようという精神をもつようになれたの
ならば、そういった意味において
この作品は非常に価値あるものだと思うのです。
さて・・次に夫婦愛・・。
語らせると長いよ・・・笑
ジャスティンを動かしたのは、まさに妻への思いからに
違いありません。
この夫婦・・私たち一般人の夫婦関係とは
また異質であると思えるところもあります。
夫婦関係があまり描かれていない分、
妻の夫への愛がわかりにくいとも
思います。(映画においては夫の心の動きの方が明確・・
だからそちらの方が断然感情移入できますね・・レイフだし・・。)
彼らの結びつきをみると、ジャスティンは、テッサの押せ押せムードに巻き込まれて、強引に結婚させられてしまったという様子が伺えますよね。愛人でも妻でもいいから連れてって・・というプロポーズは
どうかと思えますしね・・。好きといえば・・ってね・・笑
ジャスティンにしてみれば、嫌いじゃあないけれど、まさか、こんなに早く結婚を考えるとは・・と思っていたんじゃないの?映画を観る限りはテッサは、ジャスティンを自分の信念を貫くための手段として
考えていたように思われます。
これが、そもそもこの夫婦の、結婚にいたるまでの過程で
納得いかない点を感じる部分ではあるでしょう。
「あなたといると安心するの」
というテッサのいう安心とは
仕事ができる環境ということのように感じられます。
テッサにとっての、夫というのは
一般的のそれとは大きく違うように感じます。
雨の降る中・・遅くまで仕事をしてきた妻を
1人膝を抱えて待ている夫。身重の妻の体を案じての夫なのに
妻は「待っていなくても・・いいのに・・・」
なんて。そりゃ・・・夫・・レイフは可哀想・・。
でも、テッサは別に悪気はなかったのかも。
それがテッサの夫に対する愛情。自分のために夫が
つらい思い・・苦痛を感じているのをすまなく感じるのが
テッサなのです。
だから、夫を守るために真実をいわなかったというのは
テッサなりの愛です。テッサは弱くないのです。
限りなく強い・・。強すぎてかえってジャスティンには理解の出来ない存在でもあったのですよね。
私は、普通人だから、そんな大きな愛はなく、
あなた・・助けて・・・と告白しちゃうタイプですかね。
つまり、テッサは、女性的な要素を持ちながら
精神は男性的なように感じますね。
夫の・・妻の人生に干渉しないという考え方と
妻の・・・肝心なことは何一つ夫には伝えない・・・という・・
考え方。
すべてを分かち合ってこその夫婦・・・という私の考えとは
違う夫婦像です。
それはやはり気にはかかります。
2人がどんなにか信頼しあい
愛し合っていたというものには感じられなかったからね。
でもそれが逆に後半の展開にいきてきたと思うのです。
後半・・・彼の愛再確認もしくは、真実の愛に到達する過程には
やっぱりうるうるしてきたのです。
ジャスティンはテッサ=自分の愛した人はどんな人かということを
知る中で、新たな愛を見つけ出していったといっていいでしょう。
それは真実の愛です。
そうね・・倦怠期の夫、もしくは妻が、お互いの伴侶の
新たな面を発見し、再び愛を確認するような心境よね・・
あ・・倦怠期ではありませんが・・・笑
2人が出発した時点では(結婚・・当初)
心底わかりあっていたとはいえない・・・
結婚してもやはりお互いの心の中にまでは
入っていかない夫婦だったのだから、やはりわかりあっていたとは
いえない・・・どこか溝があったのでは・・。
でも、その溝を妻の死をきかっけとして
埋めていったのではないかと・・・。
夫のほうが歩み寄ったという形ですが。
テッサの自分への愛は、大きかった。
彼女のもつ愛は、アフリカの民にたいして与えていた
愛と同じようなものだったような気がします。
比べちゃ・・悪いけれど、
彼女の夫への愛はアフリカの民と同じくらいに強かったん
じゃあないかな。人類愛みたいな感じ。
だから、普通人の夫婦の愛とはちょっと違うような・・。
彼女の愛が大きかったという表現は、そういった意味で使われていた
ような気がしますよ。
彼女なりの愛なので
私の夫への感情とは違うような気はするけれど。
地の果てで、やっと君に帰る。
ラストは、物哀しいものではあるけれど、
彼にとっては幸せな選択であったのかもしれませんね。
汗でにじんだTシャツ姿のレイフがとても素敵でした。
小汚くても魅力的。むしろそのほうがいい・・
あ・・・映像について。
回想を多くし、残酷な面は直接的にはみせず、
なにより、現場のリアル感を出すような演出でした。
ラブもサスペンスもバランスよく組み込まれていて
よく出来ていたんじゃあないかな・・。
前作の方が、力強さというものが感じられたけれど
これは原作ありの作品なので、これはこれでよかったと思っています。
ところで、思想の違う夫婦の姿といえば、
私は「追憶」を思い出すのですが、似ていませんか。
活動的な妻に対して何事も穏便に済まそうとする夫。
結局のところ妻の生き方を理解しがたい夫は、
妻と別れる決断をしてしまいます。愛していても、
生活できないということはあるものです。
でも、レイフ扮するジャスティンは
自分を変えていくんです。
そこがいいな・・・。でも愛する人はもういないというのも
むなしいですが・・。
この物語は彼なしでは成立しなかったのではないでしょうか。
ってそこまで言っていいのか・・笑
夫婦とはやはり相手の世界に入り込むことだと。
そういう意味では私はテッサへも
同じ思いを要求しますね。
死んじゃったけれどね。
彼女もまたジャスティンを思いやるべきでは・・。
やはり隠すのは
どうかと思うよね。


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