夜想 著 貫井徳朗
夜想 著 貫井徳朗
事故で妻と娘を亡くした雪籐。
暗闇の中にいる彼を支えているのは
カウンセリングの北条先生と時折現れる亡き妻のアドバイス。
しかし悲しみが癒されることはなく
存在意義に疑問も感じ、生きる希望が湧かずにいた。
そんな時、定期券を拾ってくれた女性が
自分を見て涙する。
「シンクロしてしまった」と言う彼女。
彼女=天美遥は持ち物に触れるとその人の
心が見えるという。
今はアルバイト先の喫茶店で時々人から相談を受けるという
ボランティアをしていた。
自分を初めて理解してくれた人がいる・・
雪籐は遥を支持していこうと決意する・・
感想 「慟哭」から14年たっての作品。
扱っているテーマは同じ新興宗教。
今年になってから「慟哭」を読んだので今だ記憶は
新しい自分。同じ路線を想像させ、読む前からどんより~~とした気分でした。 でも今は読んでよかった・・・という気持ち。
どんより~~した気分にはなりません。グイグイ引っ張ていく
力が文体にあり一気読みでした。
途中、途中で重めな展開もありましたが
後味は良かったです。
「慟哭」は
最初に宗教があり、その中へ
自らが突入していく主人公・・という流れであったのに対して
こちらは中から=宗教を立ち上げる過程を・・
順を追って描いていく作品でした。
この雪藤がかかわる組織を
宗教といういい方で表現していいのかどうかは
わからないけれど、客観的に見れば
そういう認識でとらえられてしまうのは致し方ないでしょうね・・。
人を救うという目的をかかげているのですから。
そして人の拠り所となっているのですから・・・。
どうしても胡散臭い印象をもたれてしまう新興宗教。
金銭関係が絡んでもめたり
一般的な物事の判断が尋常を超えてしまったりするのを聞くと
どうしても、身構えてしまいますよね。
世の中には他人には計り知れない
苦しみを背負っていく人は
たくさんいて・・・。
何かにすがりたいという気持ちは
当然でてくるはず。
だから雪籐がのめりこんでいく気持ちは
わからなくはないです。
それは宗教がいいとは悪いとかという問題とは
別なところですよ・・。
彼が救いを求めている姿は痛々しいゆえ、
その行動が納得できてしまうのです。
自分だったらどうなっていくんだろう・・・って。
この物語の中で、指導者とされる
天美遥は、そういう宗教組織を人一倍嫌う人物像として
描かれます。ここは新鮮。
悪巧みがあるわけではないのですよね。
純粋に自分の能力を人助けに役立てたいと願っている女性なのです。
もちろん、主人公の雪籐も最初はそうであったはずです。
彼女を巷にいる教祖というようなものの・・・位置づけにしたくないと
いう思い・・
でもことはそんな簡単なことではすまされません。
組織となれば金も要るし
人が集まれば摩擦も生じる・・
すべては彼女のためだと言い聞かし、
どんどん深みにはまっていく雪藤。
こうやって一個の団体、集合体が
湧き上がっていくのかも
しれないですね。
生々しい・・。
ミステリータッチで描かれており
ところどころ・・
そういうことだったんだ・・・という衝撃的な事実が発覚していき
ミステリーとしても楽しめます。
同時進行で
語られる
夫に死なれてから女で一つで娘を育ててきた子安嘉子の
娘探しの件も
上手い具合に
遥たちの団体「コフリット」に絡んできます。
さすがに、上手い展開です。
途中から会の運営に携わる
笠置は、悪者であるという意識しか持たず、
絶対雪籐たちを混乱に陥れると思っておりましたが
彼は彼なりの心に葛藤を秘めていたんだな・・・って
わかることが驚きでした。
「悲しみっていうのは絶対乗越えなきゃ
いけないものなのか。。。
どうしても乗越えられない悲しみだってあるんですよ。
だったら無理に乗越え必要はない。」
笠置さんがこんなこというとは思っても見なかったな・・・
「悲しみが一生消えないほどに心に食い込んでしまったなら
悲しみとともに生きていくしかありません・
救われたいと願っているうちは、けっして苦しみから
逃げることはできないのです。
自分を救うのは自分自身しかいません。」
雪藤の言葉は、苦しみ、悩んだものだからこそ
いえる言葉ではなかったでしょうか。
心がボロボロになるまで苦しんだあげくに
たどり着いたものが
前向きな人生の選択だったことに
ホット胸をなでおろします。
自分を救うのは自分しかない・・
これがこの物語の言わんとすることだったのかな・・・と
思います。

事故で妻と娘を亡くした雪籐。
暗闇の中にいる彼を支えているのは
カウンセリングの北条先生と時折現れる亡き妻のアドバイス。
しかし悲しみが癒されることはなく
存在意義に疑問も感じ、生きる希望が湧かずにいた。
そんな時、定期券を拾ってくれた女性が
自分を見て涙する。
「シンクロしてしまった」と言う彼女。
彼女=天美遥は持ち物に触れるとその人の
心が見えるという。
今はアルバイト先の喫茶店で時々人から相談を受けるという
ボランティアをしていた。
自分を初めて理解してくれた人がいる・・
雪籐は遥を支持していこうと決意する・・
感想 「慟哭」から14年たっての作品。
扱っているテーマは同じ新興宗教。
今年になってから「慟哭」を読んだので今だ記憶は
新しい自分。同じ路線を想像させ、読む前からどんより~~とした気分でした。 でも今は読んでよかった・・・という気持ち。
どんより~~した気分にはなりません。グイグイ引っ張ていく
力が文体にあり一気読みでした。
途中、途中で重めな展開もありましたが
後味は良かったです。
「慟哭」は
最初に宗教があり、その中へ
自らが突入していく主人公・・という流れであったのに対して
こちらは中から=宗教を立ち上げる過程を・・
順を追って描いていく作品でした。
この雪藤がかかわる組織を
宗教といういい方で表現していいのかどうかは
わからないけれど、客観的に見れば
そういう認識でとらえられてしまうのは致し方ないでしょうね・・。
人を救うという目的をかかげているのですから。
そして人の拠り所となっているのですから・・・。
どうしても胡散臭い印象をもたれてしまう新興宗教。
金銭関係が絡んでもめたり
一般的な物事の判断が尋常を超えてしまったりするのを聞くと
どうしても、身構えてしまいますよね。
世の中には他人には計り知れない
苦しみを背負っていく人は
たくさんいて・・・。
何かにすがりたいという気持ちは
当然でてくるはず。
だから雪籐がのめりこんでいく気持ちは
わからなくはないです。
それは宗教がいいとは悪いとかという問題とは
別なところですよ・・。
彼が救いを求めている姿は痛々しいゆえ、
その行動が納得できてしまうのです。
自分だったらどうなっていくんだろう・・・って。
この物語の中で、指導者とされる
天美遥は、そういう宗教組織を人一倍嫌う人物像として
描かれます。ここは新鮮。
悪巧みがあるわけではないのですよね。
純粋に自分の能力を人助けに役立てたいと願っている女性なのです。
もちろん、主人公の雪籐も最初はそうであったはずです。
彼女を巷にいる教祖というようなものの・・・位置づけにしたくないと
いう思い・・
でもことはそんな簡単なことではすまされません。
組織となれば金も要るし
人が集まれば摩擦も生じる・・
すべては彼女のためだと言い聞かし、
どんどん深みにはまっていく雪藤。
こうやって一個の団体、集合体が
湧き上がっていくのかも
しれないですね。
生々しい・・。
ミステリータッチで描かれており
ところどころ・・
そういうことだったんだ・・・という衝撃的な事実が発覚していき
ミステリーとしても楽しめます。
同時進行で
語られる
夫に死なれてから女で一つで娘を育ててきた子安嘉子の
娘探しの件も
上手い具合に
遥たちの団体「コフリット」に絡んできます。
さすがに、上手い展開です。
途中から会の運営に携わる
笠置は、悪者であるという意識しか持たず、
絶対雪籐たちを混乱に陥れると思っておりましたが
彼は彼なりの心に葛藤を秘めていたんだな・・・って
わかることが驚きでした。
「悲しみっていうのは絶対乗越えなきゃ
いけないものなのか。。。
どうしても乗越えられない悲しみだってあるんですよ。
だったら無理に乗越え必要はない。」
笠置さんがこんなこというとは思っても見なかったな・・・
「悲しみが一生消えないほどに心に食い込んでしまったなら
悲しみとともに生きていくしかありません・
救われたいと願っているうちは、けっして苦しみから
逃げることはできないのです。
自分を救うのは自分自身しかいません。」
雪藤の言葉は、苦しみ、悩んだものだからこそ
いえる言葉ではなかったでしょうか。
心がボロボロになるまで苦しんだあげくに
たどり着いたものが
前向きな人生の選択だったことに
ホット胸をなでおろします。
自分を救うのは自分しかない・・
これがこの物語の言わんとすることだったのかな・・・と
思います。

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